元気ですか〜!?
どうも、ろけねおです。
今回ご紹介するのは『センスの哲学』という千葉雅也さんがお書きになった本です。
センスの哲学
「センス」という、掴みどころのないもの。
その正体を少しでも理解したくて、以前読んだ分かりやすいセンス本に続き、
千葉雅也さんの『センスの哲学』を手に取りました。
哲学的なアプローチから「センス」を解き明かす一冊ということで、知的な刺激をくれるに違いない。
そんな期待を胸に読み始めました。
しかし、結論から正直に言うと、ボクにとってこの本はかなり退屈な読書体験となってしまいました。
この記事では、なぜボクがそう感じてしまったのか、その理由を正直に語ります。
そして、そんな「合わなかった」本からでさえ、どんな学びや発見があったのかを掘り下げていきたいと思います。
高評価の話題作がしっくりこなかった方、購入を迷っている方の参考になれば幸いです。
『センスの哲学』とは?
まずは本書の基本情報から。
『センスの哲学』は、哲学者であり作家でもある千葉雅也さんによって書かれた一冊です。
文藝春秋社から2024年4月5日に出版されています。
「センスがいい」とはどういうことか? 私たちが普段何気なく使っている「センス」という言葉を、哲学の視点から深く、多角的に考察していく内容です。単純なノウハウ本ではなく、言葉の定義や物事の捉え方そのものを問い直す、まさに「哲学書」と言えるでしょう。
なぜボクは退屈だと感じたのか
Amazonレビューでは星4.2(2025年9月時点)という高評価。
多くの読者から支持されているのは間違いありません。
ではなぜ、ボクはこの本を楽しめなかったのでしょうか。
理由は大きく2つあります。
一つは、内容がひたすらまわりくどく感じられたこと。
本書は、ひとつの主張を、様々な表現や角度から何度も繰り返し語る構成になっています。
章が変わり、テーマが移っても、「あれ、これさっきも読んだような…」と感じてしまう瞬間が何度もありました。
おそらく、論理や言語表現の多層的な広がりを味わえる方にとっては、この繰り返しこそが思考を深めるための重要なプロセスなのでしょう。
しかし、「早く結論や要点が知りたい」と思ってしまうせっかちなボクのようなタイプには、正直なところ少ししんどい展開でした。
そして二つ目の理由は、比喩や具体例の分かりにくさです。
哲学書特有の少し硬質な言い回しに加えて、本書で引用される比喩や具体例が、ことごとくボクにとって馴染みの薄いものばかりでした。
むしろ、例えを出してもらったことで、かえって混乱してしまうという悪循環。
これは、ボクが何かを説明するときに、ついプロレスで例えてしまうようなものかもしれません。
プロレスを全く知らない人からすれば、「その例え、逆に分かりにくいです!」となりますよね。
それと同じ現象が、読書中にずっと起きていました。
これは決して本のせいではなく、単純にボクの知識や読解力が足りていない、この本を読むにはまだ早すぎた、ということなのだと思います。
それでも心に刺さった3つの論点
退屈だった、とは言いましたが、もちろん全てがつまらなかったわけではありません。
ハッとさせられたり、自分の考えを深めるきっかけになったりした箇所もいくつもありました。
特に印象に残っている3つの論点をご紹介します。
1. 「地頭」という言葉への違和感
まず興味を引かれたのが、「地頭」についての記述です。
いわゆる「地頭」に似ているところがあると思います。地頭とは、もとからの変えられないものとして言われる。僕はこういう言葉に警戒しています。なぜなら、努力による変化を認めず、多様性を尊重せず、人を振り分けようとする発想があるからです。
この「警戒しています」という表現に、ボクは強く共感しました。
というのも、ボク自身が「地頭が悪い」と言われる状態は、実は「これまで十分な努力をしてこなかった」あるいは「他者の視点を取り入れる経験が少なかった」ことの結果なのではないか、と考えているからです。
つまり、生まれつきの能力というより、「変わろうとしなかった」「考えようとしなかった」ことの積み重ねが今なのだと。
そう考えると、現時点で多少思考力が劣っていたとしても、それは今後の行動次第でいくらでも変えていけるはずです。
著者の言う通り、「地頭」という言葉で可能性に蓋をしてしまうのは、あまりにもったいないことだと改めて感じました。
2. 「欠如」を埋めるための無駄口
次に印象的だったのが、小説の構造についての考察です。
小説とは、大きく言えば、何かの欠如を埋めるという、生物の根本運動にドライブされながら、その解決を遅延し =サスペンス構造を設定し、長々と無駄口を展開していくことであり、結果としてあのようなボリュームになるのだ
「なるほど、鋭い分析だ」と思う反面、「そんな風に小説を分析しながら読んでいたら、物語に没入できないな」とも感じました。
そして皮肉なことに、この『センスの哲学』という本自体が、まさにこの「長々と無駄口を展開」しているようにボクには思えてしまったのです。
著者の言葉を借りれば、本書は「センスとは何か」という欠如を埋めるために、解決を遅延させながら、様々な角度から言葉を尽くしていると言えます。
そうか、だからボクはこの本を楽しめなかったのか。
この一節を読んだとき、妙に腑に落ちたのを覚えています。
3. 理想との「ズレ」をどう捉えるか
創作活動における「理想と現実のズレ(=余り)」に関する記述も、深く考えさせられました。
自分の理想とするものにならなくても、自分はこういう余らせ方をする人なんだからいいや、と思えるわけです。それは、自分に固有の足りなさだとも言える。ですが、それをもっとポジティブに捉えてみる。その方がより創造的になれると思います。
この視点は、非常に前向きで、創作する多くの人にとって救いになる考え方でしょう。
しかし、現実問題として、その「ズレ」が他者から評価されなければ、作り手はやはり苦しいものです。
特に、承認欲求や「誰かに認められたい」という想いから作品を生み出す人にとっては、そのズレは「失敗」そのものに見えてしまう危険性もはらんでいます。
ボク自身もブログを書く中で、理想と現実のギャップに悩むことが多々あります。
だからこそ、この記述には共感半分、反発半分という、なんとも複雑な気持ちになりました。
どんな人にオススメ?ボクが比較したい本はコレ!
本書のレビューをまとめると、「ボクには合わなかったけれど、間違いなく良書」という結論になります。
では、具体的にどんな人にオススメで、どんな人には向かないのでしょうか。
▼こんな人にオススメ
- 物事を深く、哲学的に考えるのが好きな人
- 言葉の定義や表現の揺らぎを楽しめる人
- すぐに答えを求めず、思考のプロセスを重視する人
- 知的な迷路に迷い込む感覚が好きな人
▼こんな人には向かないかも
- 本に実践的なノウハウや具体的な答えを求める人
- まわりくどい表現や遠回しな言い方が苦手な人
- 平易で分かりやすい文章を好む人
もしあなたが後者で、「センスについて学びたいけど、哲学書はハードルが高いな…」と感じるなら、水野学さんの『センスは知識からはじまる』がオススメです。
こちらは「センスとは知識の集積である」という明快な主張のもと、センスを身につけるための具体的な方法が分かりやすく解説されています。
『センスの哲学』が「思索の書」なら、『センスは知識からはじまる』は「実践の書」と言えるでしょう。
『センスの哲学』購入リンク
ご自身の思考を深める一冊として、手に取ってみてはいかがでしょうか。
合わなくても、読む価値はあった
この記事では、千葉雅也さんの『センスの哲学』が、なぜボクに合わなかったのか、そして合わないながらもどこに価値を見出したのかを語ってきました。
読み終えた今も、「理解はできても、完全には納得できない」というモヤモヤした感覚が残っています。
まるで、職場の上司の小難しい話を聞いているときのような、あの何とも言えない感覚です。
それでも、この本と向き合った時間は、決して無駄ではありませんでした。
自分の思考のクセ、理解力の限界、そして何が「分からない」のかをハッキリと確認できたからです。
分からないことに腹を立てるのではなく、「自分は今、これが分からないんだな」と認識すること。それ自体が、もしかしたら「センス」を磨くための、最も重要な第一歩なのかもしれません。
この本は、そんな当たり前のようで難しいことに気づかせてくれる、貴重な一冊でした。
それではまた。
ありがとう!
