元気ですか〜!?
どうも、ろけねおです。
今回ご紹介するのは『センスの哲学』という千葉雅也さんがお書きになった本です。
センスの哲学
センスについての理解を深めたくて、以前読んだわかりやすい本↓に続いて
手に取りました。
結論から言えば、ボクにはかなり退屈な読書体験でした。
なぜそう感じたのかというと、内容がひたすらまわりくどい。
ひとつの主張を、表現を変えながら何度も繰り返す構成になっていて、章が変わっても「またこれか」と感じてしまいます。
たぶん、論理や言語表現の多層性を楽しめる方にとっては面白いのでしょうが、ボクのように「早く結論が知りたい」と思ってしまうタイプには、読んでいて少ししんどかったです。
回りくどさと比喩のわかりにくさがハードルに
哲学書らしい言い回しに加えて、引用される比喩や具体例がことごとくボクには馴染みのないものばかり。
むしろ例を出してくれたおかげで、さらにわかりにくくなってしまいました。
ボクが何かを説明するときにプロレスで例えたら、聞かされたほうはプロレスを全く知らない状態だったときと同じでしょう。
これはきっと、ボクにはまだ読むのが早すぎたのかもしれません。
実際、Amazonレビューをのぞいてみると(2025年7月時点で)星4.2という高評価。
読者からの支持は確かにあるので、単純にボクの理解力が足りていないだけなのだと思います。
「地頭」への違和感とボクの考え
興味を引かれた箇所もいくつかありました。
たとえば「地頭」についての記述です。
いわゆる「地頭」に似ているところがあると思います。地頭とは、もとからの変えられないものとして言われる。僕はこういう言葉に警戒しています。なぜなら、努力による変化を認めず、多様性を尊重せず、人を振り分けようとする発想があるからです。
この「警戒しています」という表現が、個人的には面白く感じました。
というのも、ボクは「地頭が悪い」と言われる人って、実は「努力してこなかった人」や「他者の視点を持てなかった人」なのではないかと考えているからです。
つまり、生まれつきどうこうというより、「変えようとしなかった結果」が今なのだと。
仮に現時点で地頭がイマイチだったとしても、ここからどうにでもできるものであるとは思いますが、人は振り分けてしまう発送ではあるとは思います。
「欠如」としての小説、そしてこの本も?
もうひとつ印象的だったのが、次の一節です。
小説とは、大きく言えば、何かの欠如を埋めるという、生物の根本運動にドライブされながら、その解決を遅延し =サスペンス構造を設定し、長々と無駄口を展開していくことであり、結果としてあのようなボリュームになるのだ
なるほど、と思う反面、そんなふうに小説を読んでいたら楽しめないなとも感じました。
そして皮肉にも、この『センスの哲学』という本自体が、まさに「長々と無駄口を展開」しているようにボクには思えてしまったのです。
そりゃ楽しめないはずです。
理想との「ズレ」をどう捉えるか
また、創作における「理想と現実のズレ(=余り)」に関する記述も印象に残っています。
自分の理想とするものにならなくても、自分はこういう余らせ方をする人なんだからいいや、と思えるわけです。それは、自分に固有の足りなさだとも言える。ですが、それをもっとポジティブに捉えてみる。
その方がより創造的になれると思います。
この視点はたしかに前向きで、救いになる考え方だと思います。
でも、現実として、そのズレが評価されなければ、創作する人はやっぱり苦しい。
特に、称賛を求めて作品を生み出す人にとっては、「そのズレ」が「失敗」に見えることもあるでしょう。
そのジレンマはボク自身も感じていて、共感半分、反発半分という複雑な気持ちになりました。
総評:難解さにモヤモヤしながらも、思考の整理にはなる本
この本を通して、ボクは「理解はできても納得できない」感覚を何度も味わいました。
まるで職場の上司と会話しているときのような、なんとも言えないイライラです。
それでも、自分の考え方や理解力の限界を確認できたという意味では、いい刺激をもらったとも言えるでしょう。
わからないことに腹を立てるのではなく、「わからないものがある」と認識すること自体が、センスのひとつなのかもしれませんね。
それではまた。
ありがとう!
