元気ですか〜!?
どうも、ろけねおです。
今回ご紹介いたします本は大崎善生さんがお書きなった村山聖さんという将棋指しの方を描いた本でございます。
聖の青春
ボクは、将棋のルールは知っているものの、考えるのが苦手で本当に弱いです。
小学生の頃、ちょっとしたブームでマグネット式の将棋盤を買ってもらったものの、全く上達しませんでした。
大概のことは人並みにこなせるようになるのですが、将棋と囲碁だけはどうしてもダメで、少しネガティブなイメージさえ持っていました。
そんなボクが、なぜ将棋棋士の本を手に取ったのか。
きっかけは、数年前に公開された映画『聖の青春』です。
映画に深く感動し、ずっと気になっていた原作をようやく読んでみました。
結論から言うと、原作は映画よりも遥かに、圧倒的に素晴らしかったです。
映画が描いていたのは、この本の持つ凄まじい熱量や人生の深みの、ほんの一部分に過ぎなかったのだと痛感しました。
映画で感動した方にこそ、絶対に読んでほしいです。
そして、できることなら、もっと若い時にこの本に出会いたかった。
心の底からそう思わせてくれる、魂を揺さぶる一冊でした。
『聖の青春』の概要
『聖の青春』は、ノンフィクション作家の大崎善生さんが、29歳の若さで亡くなった天才棋士・村山聖(むらやま さとし)九段の壮絶な生涯を描いた作品です。
1998年に発表され、大きな反響を呼びました。
幼少期に腎臓の難病「ネフローゼ」を患い、入退院を繰り返しながら将棋と出会った聖。
名人になるという夢だけを支えに、病気と闘い、命を削るように将棋盤に向かい続けた彼の生き様は、読む者の胸を強く打ちます。
これは単なる将棋の物語ではなく、一人の人間が「生きる」とはどういうことかを、その身をもって問いかけてくる普遍的な記録です。
自分の体と真剣に向き合うということ
この本を読んでまず衝撃を受けたのは、村山聖さんが人生で二度も、医師の診断によって病気の発見が遅れてしまったという事実です。
幼い頃に患ったネフローゼは、最初はただの風邪と診断されました。
そして晩年、彼の命を奪うことになる膀胱がんは、血尿という明確なサインがあったにもかかわらず、ストレス性のものと診断されています。
これは決して他人事ではない、とボクは思いました。
お医者さんも人間ですから、誤診をしようと思ってしているわけではないでしょう。
しかし、医学がどれだけ進歩しても、人間の体は未知の部分が多い。
以前読んだ心臓外科医の本にも、「経験値の豊富な医師でなければ本当の病状はわからないことが多い」と書かれていました。
だとすれば、ボクたち自身が「自分の体の声」に誰よりも敏感でなければなりません。
「何かおかしい」と感じた時に、セカンドオピニオンを求める勇気を持つこと。
日頃から自分の体と対話し、小さな異常に気づけるようにしておくこと。
聖さんの経験は、その重要性を痛いほど教えてくれます。
師匠と弟子、その特別な関係への憧れ
ボクには、師匠も弟子もいません。
上司はいても部下はおらず、親はいても子供はいません。
だからこそ、本作で描かれる村山聖さんと師匠・森信雄さんとの間の「師弟愛」に、強烈な憧れを抱きました。
親子でも、兄弟でも、友人でもない、特別な絆。人生を豊かにしてくれるであろう、その関係性が本当に羨ましく思えました。
この関係でなければ感じられない感情や、経験できない出来事が、きっとたくさんあるのだろうと。
不思議なことに、本を読んでいる間、ボクはどちらかというと師匠である森さんの気持ちに寄り添っていることが多かったです。
自分も、いつの間にか師匠側の年齢に達したのだなと実感しました。
弟子を取るなんておこがましいですが、「誰かの弟子になる」ことは今からでもできるかもしれない、なんて考えてしまいました。
自分より年下の人と話す機会が少ないことも、良くないのかもしれません。
つい説教臭くなってしまうのでは、と躊躇してしまいますが、師弟関係のような深く真剣な関わりは、年齢に関係なく人を成長させてくれるのだと思います。
『聖の青春』を読んだら「必死」という言葉が使えなくなった
この本の核心は、村山聖さんの「生き様」そのものです。
死というものが常に隣にあると自覚しながら、将棋という一つの道にすべてを捧げる姿。
その生き方を前にすると、「必死」や「一生懸命」といった言葉を、ボクはもう軽々しく使えなくなってしまいました。
スティーブ・ジョブズの有名な言葉に「もし今日が人生最後の日だとしたら、今日やることを本当にやりたいだろうか?」という問いがあります。
これは「いつ死ぬかわからないのだから、必死に生きろ」というメッセージです。
※こうまとめてしまうとなんか薄っぺらくなってしまった感じになってしまい、すみません。
でも、もし今日が最後の日なら、ボクはきっと早々にすべてを諦めてしまうでしょう。
聖さんのように、余命が長くないと突きつけられたら、「必死」になれるのか?
いや、運命を悲観して、何も手につかなくなるかもしれない…。
そう、色々と考えました。
そして気づいたのです。
「必死」になるかどうかは、自分の置かれている状況とは関係ないのだ、と。
病気だから、才能があるから「必死」になれたわけじゃない。
それは、ただ本人が「必死」になることを「選択」しただけなのです。
かつてボクは、プロミュージシャンになろうと「必死」だった”つもり”でした。
しかし、この本を読んだ後では、あの頃の自分の努力など、「必死」どころか「真剣」でさえなかったと恥ずかしくなりました。本当の「必死」が、この本にはありました。
こんなあなたに読んでほしい
この本は、将棋ファンだけのものではありません。
生きることに悩んだり、目標を見失ったりしている、すべての人に読んでほしい一冊です。
- 目標に向かっているが、自分の覚悟が中途半端だと感じている人
- 「一生懸命生きる」とはどういうことか、その意味を知りたい人
- 映画版『聖の青春』を観て感動した人
- 心を揺さぶる、本物のノンフィクションに触れたい人
- 師弟関係や、人と人との深い絆を描いた物語が好きな人
ご購入はこちらから
まとめ:彼の生き様は、あまりにも「カッコいい」
若くして亡くなった聖さんの人生は、不幸だったのかもしれません。
しかし、彼の生き様は、ボクには羨ましくさえ思えました。
一つのことに命を燃やし尽くす。
その姿は、理屈抜きに「カッコいい」。
ただただ、シビレました。
この本は、ボクたちの日常がいかに生ぬるいもので、いかに多くの可能性を無駄にしているかを突きつけてきます。
そして同時に、今この瞬間から「必死」に生きることは誰にでもできるのだと、静かに、しかし力強く教えてくれるのです。
それではまた。
ありがとう!