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【読書感想文】『ハンチバック』は読む人を選ぶ?芥川賞受賞作にモヤモヤしたボクがその理由を正直に語る

元気ですか〜!?

どうも、ろけねおです。

今回ご紹介いたします本は市川沙央さんが芥川賞を受賞された『ハンチバック』という作品です。

ハンチバック

はじめに:読みたくなかった本と、向き合うことにした理由

前置きが長くなってしまいますが、まずボクのスタンスからお話しさせてください。

正直なところ、ボクは障がいのある方とどう接すれば良いのか分からず、これまで意識的に関わりを避けてきました。

もちろん、それが良いことだとは思っていません。

分からないからと避けないで、障害者のことを知っていただく取り組み

※これを読みますと、申し訳ない気持ちにはなります。

しかし、下手に同情的な態度をとるのも違う気がするし、かといって何も感じないふりをするのも嘘になる。

考えれば考えるほど分からなくなり、結果的に距離を取ってしまうのです。

そんなボクですから、2023年に『ハンチバック』が芥川賞を受賞し、著者である市川沙央さんの力強い受賞スピーチが話題になった時も、「この本は読まないだろうな」と直感的に思いました。

では、なぜ今こうしてレビュー記事を書いているのか。

それは、会社の同僚に強く勧められたからです。

「誰かに何かを勧められたら、とりあえず乗ってみる。そうすることで自分の世界が広がる」 以前に何かで読んだこの言葉を思い出し、凝り固まった自分の価値観を少しでも揺さぶるべきかもしれない、と考えたのです。

この記事は、そんなボクが重い腰を上げて『ハンチバック』を読み、何を感じ、何に悩み、そして何に「しんどく」なったのかを、包み隠さず綴ったものです。

『ハンチバック』ってどんな本?簡単なあらすじ

まずは、この物語の基本情報と、簡単なあらすじをご紹介します。

【著者】 市川 沙央 

【出版社】 文藝春秋 

【受賞歴】 第128回文學界新人賞、第169回芥川龍之介賞

物語の主人公は、重度の障害を持つ井沢釈華(いざわ しゃか)。

彼女は生まれつきの疾患(先天性ミオパチー)により、背骨が湾曲し(ハンチバック)、人工呼吸器と電動車椅子が手放せない生活を送っています。

裕福な家庭に生まれ、グループホームで暮らす彼女の収入源は、亡き両親が遺した潤沢な資産と、アダルト系Webライターとしての稼ぎ。

健常者の男性になりすまし、過激な記事を書き続ける釈華の心の中には、歪んだ承認欲求と、決して満たされることのない性的な渇望が渦巻いています。

そんな彼女が、ある目的のためにマッチングアプリに登録したことから、物語は大きく動き出します。

障害当事者でなければ書けないであろう圧倒的なリアリティと、読者の偽善や常識を容赦なくえぐり出す鋭い筆致が特徴の、衝撃的な一作です。

ただただモヤモヤして、困り果てた読後感

正直な感想を言います。

読み終えた時、ボクの心に残ったのは感動や共感ではなく、ただただ「モヤモヤ」とした、どうしようもない困惑でした。

「自分は一体、何を読まされたんだろう?」

「これを読んで、ボクにどうしろと言うんだろう?」

物語から突きつけられる問いはあまりに重く、鋭く、ボクの心に深く突き刺さりました。

しかし、その痛みに対してどう反応すればいいのかが全く分からない。

スタンスを変えることもできず、かといって無視することもできない。

そんな宙ぶらりんな状態で、ただただ立ち尽くすような感覚に陥りました。

ボクは基本的に、読書で気持ちよくなりたいタイプの人間です。

心が温かくなったり、勇気が湧いてきたりする物語を好んで選びます。

だからこそ、この本が持つ、心をかき乱すような力は、ボクにとってひたすら「しんどい」ものでした。

この本を勧めてくれた同僚は、誰に対しても壁を作らない、心のキレイな人です。

彼女のような人なら、この複雑な物語もきちんと消化し、自分の血肉にできるのかもしれません。

でも、残念ながらボクにはそこまでの心の余裕がありませんでした。

読了後、同僚にそのことを正直に伝えると、彼女は少し残念そうにしながらも「そっか」と理解を示してくれました。

まるで、自分の心の器の大きさを測られ、不合格の烙印を押されたような、そんな気まずさを感じたのを覚えています。

芥川賞と純文学、そしてボクの「好み」

この「しんどさ」の原因はどこにあるのだろうと考えた時、ボクは「芥川賞」と「純文学」というキーワードに思い至りました。

そもそも、ボクは芥川賞がどのような作品に贈られる賞なのか、よく知りませんでした。

調べてみると、芥川賞は「新人作家による純文学の短編~中編作品」が対象とのこと。

いまさら聞きにくい…芥川賞・直木賞の違いって?~小中学生、高校生が応募できる文学賞も合わせてご紹介~

そして「純文学」とは、「主に文章の美しさや表現方法の多彩さ(芸術性)に重きをおいた小説」を指すそうです。

なるほど、と膝を打ちました。

ボクが普段好んで読んでいるのは、物語の面白さやエンターテインメント性を重視した「大衆文学」(直木賞の対象)だったのです。

つまり、ボクはそもそも畑違いの場所に足を踏み入れてしまったのかもしれません。

『ハンチバック』に対して、ボクは正直「文章の美しさ」を感じることはできませんでした。

しかし、その一方で「表現方法の多彩さ」は強く感じました。

障害当事者の視点から描かれる世界、特に固有名詞の多用や独特の文体は、間違いなく新しく、芸術的かどうかは別として、強烈なインパクトがありました。

固有名詞の壁と、頭に入ってこない苦痛

この本を読んでいて苦痛だったのが、ボクにとって馴染みのない固有名詞の多さです。

特に、障害福祉に関する専門用語や介助の具体的な描写は、リアリティを高める一方で、物語への没入を妨げる要因にもなりました。

もちろん、気になるなら調べればいいだけの話です。

でも、ただでさえ少し拒絶しながら読んでいたボクには、わざわざググってまで知識を深めようという気力が湧きませんでした。

これは読書家として良くない姿勢だと反省しています。

SNSでこの本の感想を検索してみると、ボクのようなネガティブな気持ちを抱いている人はほとんど見当たりませんでした。

絶賛の声が並ぶタイムラインを眺めながら、ボクは自分の心の狭さを改めて痛感させられました。

まとめ:しんどい読書体験は、無価値ではなかった

最初から最後まで、ボクにとって『ハンチバック』はただただしんどい読書体験でした。

しかし、読み終えて少し時間が経った今、こうして記事を書きながら考えています。

心地よい読書だけが、価値のある読書なのだろうか、と。

この本は、ボクが決して見ようとしなかった現実を、有無を言わさず目の前に突きつけました。

それは不快で、苦しい体験でした。

でも、そのおかげで、ボクは「なぜ自分はこれを不快に感じるのか」「自分の心の中にある偽善や偏見は何なのか」と、深く自問自答せざるを得ませんでした。

おそらく、この本が与えてくれた「モヤモヤ」は、そう簡単には晴れないでしょう。

でも、このモヤモヤを抱えながら生きていくこと自体に、意味があるのかもしれません。

万人におすすめできる本ではありません。

むしろ、読む人を選ぶ本です。

しかし、もしあなたが自分の価値観を根底から揺さぶられたいと望むなら、この衝撃的な物語に飛び込んでみる価値はあると思います。

ただし、それなりの覚悟を持って。

それではまた。

ありがとう!

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