元気ですか〜?!
どうも、ろけねおです。
今回ご紹介いたします本は、ホモ・ネーモさんがお書きになりました本でございます。
働かない勇気
なぜ、ボクが『働かない勇気』という、いかにも挑発的なタイトルの本を選んだのか。
理由は単純です。ボクは今、53歳。
会社での出世の望みは薄れ、給料も世間の平均以下。
老後への不安だけが募る毎日です。
「このまま、ただ生活のためだけに、嫌な仕事に耐え続ける人生でいいのか?」
そんな疑問が、ここ最近ずっと頭から離れませんでした。
焦りにも似た感情から転職サイトに登録してみると、ありがたいことにエージェントからは毎日のように面接の打診が届きます。
しかし、そのメールを見るたびに、ボクの心は晴れません。
「結局、職場が変わるだけで、また同じことの繰り返しではないのか?」と。
そんなモヤモヤを抱えていた時、書店で出会ったのが、ホモ・ネーモ著『働かない勇気』です。
正直、最初は「うさんくさい本だな」と思いました。
タイトルも装丁も、あのベストセラー『嫌われる勇気』の完全なパロディ。
手に取るのが少し恥ずかしいくらいです。
それでもボクがこの本をレジに持っていったのは、「働かない」という非現実的な言葉に、万に一つの可能性を感じたからかもしれません。
ボクと同じように「働くこと」そのものに疑問を抱いている人にとって、何かしらのヒント、あるいは絶望からの逃げ道が示されているのではないか。
そんな淡い期待を抱いて、ページをめくることにしました。
『働かない勇気』とは? 著者は何者なのか
『働かない勇気』の基本情報を押さえておきましょう。
著者の「ホモ・ネーモ」さんは、久保一真(くぼ かずま)氏が使うペンネームです。
彼は「まとも書房」という出版社の代表であり、作家・哲学者としても活動されています。
『労働廃絶論』や『14歳からのアンチワーク哲学』など、一貫して「労働」への問い直しをテーマにした著作で注目を集めている在野の哲学者とのこと。
1991年大阪府生まれという若さにも驚かされます。
本書は2023年9月に発売されました。「労働はもはや悪行であり、無職こそが正義である」という、非常にセンセーショナルなメッセージを掲げています。
もともとnoteで話題だった内容が、待望の書籍化となったようです。
内容は、『嫌われる勇気』と同様、哲人と青年の対話篇形式で進みます。
働くことに悩む青年が、労働の常識を覆す哲人の思想に触れ、新しい労働哲学(あるいは「反・労働哲学」)に目覚めていくというストーリーです。
全74ページと非常にコンパクトな構成ですが、その中には「なぜ働くのか?」という人類の根本的な問いに対する、著者なりの過激で、しかし筋の通った思想が凝縮されています。
示された希望の光「ベーシック・インカム」
本書の中で、哲人が繰り返し提示する解決策が「ベーシック・インカム」という概念です。
これは、性別、年齢、所得に関わらず、すべての国民に最低限の生活費(月額いくらかは議論がありますが)を無条件で支給するという社会制度です。
この制度が実現すれば、「生活のために嫌々働く」必要がなくなります。
哲人は「働きたい人だけが働けばいい」と説きます。
確かに、理屈は通っています。
もし最低限の生活が保障されるなら、ボクも今の会社にしがみつく必要はありません。
働くことが、生活のため(Have to)ではなく、趣味や自己実現(Want to)の延長になるなら、どれほど幸福なことでしょう。
生きるためだけの苦しい労働から解放される。
それは、まさにボクのような人間が夢見る理想郷です。
この本は、その理想郷への具体的な道筋(の入り口)を示してくれたように感じました。
理想論か? フィンランド社会実験という「現実」
しかし、ボクは53歳です。理想論だけで「はい、そうですか」と納得できるほど純粋ではありません。
当然、「そんなうまい話があるわけない」という疑問が湧いてきます。
本書では深く触れられていませんが、ボクは過去にフィンランドでベーシック・インカムの社会実験が行われたことを知っていました。
2017年から2018年にかけて、フィンランド政府の社会保障機関Kelaが実施したこの実験。
失業給付を受給していた2,000人を無作為抽出し、毎月560ユーロ(当時のレートで約7万3千円)を無条件で支給したのです。
この実験の主な目的は、ベーシック・インカムが雇用率を向上させるかどうか、でした。
当時のフィンランドでは、失業手当をもらっていると、少し働いて収入を得た場合に手当が打ち切られるため、かえって就労意欲を下げている(働かない方が得)という問題があったのです。
結果どうだったか。
2019年以降に発表された評価によれば、「経済的不安の軽減」や「幸福度の向上」には一定の効果があったものの、肝心の「雇用促進効果は限定的」であったとされています。
つまり、お金をもらっても、特に追加で働くようにはならなかった、ということです。
この実験は、対象が失業者に限られていたこと、支給金額が十分ではなかったことなど、多くの限定的な条件がありました。
結局、ベーシック・インカムは「持続可能な仕組みである」という結論には至らず、2018年末で実験は打ち切られました。
この現実を知ると、『働かない勇気』が提示する理想が、いかに実現困難なものであるかを痛感させられます。
ボクが感じたこと – 勇気だけで人生は変えられるのか?
「好きなことだけ」で生きられない現実
ボクは以前、『好きなことだけして生きていく』(著:堀江貴文氏)といった類の本を読んだとき、「ああ、結局は『勇気』の問題なんだな」と妙に納得したことがあります。
自分の好きなことを貫いて生きていくには、周囲の目や社会的な摩擦を乗り越える「覚悟」と「勇気」が必要だ、と。
『働かない勇気』もまた、タイトルからしてその流れを汲んでいるように見えました。
「嫌な仕事は辞める勇気を持て」と。
しかし、この本を読み進め、そしてフィンランドの実験結果を思い出したボクは、別の結論に至ります。
単なる精神論、単なる「勇気」だけでは、どうにもならない現実がある。
ボクが今、会社を辞める勇気を持ったとします。
しかし、妻子を抱える53歳のボクを待っているのは、ベーシック・インカムが支給される理想郷ではありません。
あるのは、貯金が減っていく恐怖と、再就職のプレッシャーだけです。
「働かないで生きていく」ことは、社会制度の後押しがなければ、絶対に叶わないのです。
理想と現実のギャップ – 社会を支える仕事は誰がやる?
さらに、現実的な問題を考えなければなりません。
もしベーシック・インカムが導入され、「働きたい人だけが働く」社会になったとして、すべての人が敬遠するような仕事は誰がやるのでしょうか。
ゴミ収集、介護、清掃、建設現場の作業員、深夜のコンビニ店員…。
こうした、社会を支えるために必須だけれども、多くの人が「できればやりたくない」と思っている仕事(エッセンシャルワーク)の担い手がいなくなってしまいます。
もちろん、給料を上げれば働き手は集まるかもしれませんが、それも限界があるでしょう。
ボク個人としては、ベーシック・インカムの考え方すべてを否定するつもりはありません。
例えば、今の日本で
「生活保護を受けたくても制度のハードルが高すぎて申請できない」
「役所の窓口で追い返される」
といった人々を救済するセーフティネットとして、無条件給付という仕組みは非常に有効だと思います。
しかし、それと「全員が働かなくてもいい社会」の実現とは、また別の問題です。
このエッセンシャルワークの問題を解決しない限り、ベーシック・インカムはやはり理想論の域を出ないと感じてしまいます。
著者が提示する「行動」への大きな疑問
本書のクライマックス、哲人の思想に目覚めた青年が、ベーシック・インカム実現のために「デモ行進」と「ビラ配り」を始める描写があります。
正直、ボクはこの展開に、ガックリと肩透かしをくらいました。
「え、そこに着地するの?」と。
理想を語るだけでなく、実現のために行動を起こせ、というメッセージは理解できます。
しかし、53年間、この日本社会で生きてきたボクから言わせてもらえば、「それが今、本当に有効な手段なのか?」と疑問を抱かざるを得ません。
デモとビラ配りで社会制度が根本から変わるなら、日本はとっくに変わっているはずです。
ボクには、それが著者の自己満足、あるいは思考停止のようにさえ見えてしまいました。
それでも、53歳のボクが「何もしない」よりマシだと思うこと
だからといって、「どうせ変わらない」と現状維持を受け入れ、文句だけ言って生きるのも性に合いません。
では、どうするか。
この本を読み終えたボクは、非常に現実的で、地味な結論にたどり着きました。
「せめて、選挙には行こう」
大きな変革は、デモやビラ配りでは起きないかもしれない。
でも、ボクたち一人ひとりが持つ「一票」は、確実に社会を動かす力を持っています。
大きなことはできなくても、小さな一歩から始めることはできます。
- 自分の考えに近い候補者や、ベーシック・インカム導入に前向きな政党に投票する。
- 労働環境の改善を真剣に訴える政党を支持する。
- あるいは、SNSで自分の意見を発信するだけでもいい。
そういった地道な行動の積み重ねが、いつか(ボクが生きているうちかは分かりませんが)大きな変化につながると信じたいのです。
53歳のボクが得た「働くこと」への新たな気づき
この年齢になって改めて思うのは、「働くこと」の意味は本当に人それぞれだということです。
生活のために働く人もいれば、ボクのように生活のために「嫌々」働く人もいる。
一方で、生きがいや自己実現として働く人もいる。
そのどれもが、否定されるべきではありません。
ただ、本書が指摘するように、「生活のために嫌々働き続けることを“強いられる”社会」は、やはりおかしいとボクも思います。
『働かない勇気』は、ボクが感じていたその「おかしさ」を、はっきりと言語化してくれた一冊でした。
この本に、53歳のボクが抱える悩みへの完全な「答え」は示されていません。
ベーシック・インカムの実現性も、デモやビラ配りという行動も、ボクには納得しがたいものでした。
しかし、この本には「問い」があります。
「あなたは、なぜ働くのですか?」
「今の社会は、本当に正しいですか?」
この強烈な「問い」を投げかけられたことに、ボクはこの本の最大の価値を感じました。
この本を読んで、ボクは自分のこれからの働き方、そして人生の終い方について、もう一度真剣に考え直すきっかけを得たのです。
働くけど、好きなことだけ
ちなみに本書は働かないことを提唱する?本ですが、好きなことだけするという選択肢を提唱した本も読んでおります。
働かないのと好きなことだけして生きるのは、似ているようで似ていない、どっちがいいのか、それはぜひお読みになって確認してください。
「勇気」と「制度」、両方が必要な時代へ
『働かない勇気』は、単なるパロディ本ではありませんでした。
個人の「勇気」だけではどうにもならない時代のリアルを浮き彫りにする、鋭い社会批評の書です。
ベーシック・インカムという理想の社会像を描きながらも、そこに至る道は決して平坦ではありません。
フィンランドの実験が示すように、理論と実践の間には、ボクたちが考える以上に大きな溝があります。
でも、その溝を「どうすれば埋められるか」と考えること、試行錯誤すること自体が、社会を前に進める原動力になるのではないでしょうか。
「勇気」を持って行動を起こすこと。 そして、その行動を支える「制度」を作ること。
これからの時代、その両輪が揃って初めて、ボクたちは「働くこと」の呪縛から解放されるのかもしれません。
- 今の働き方に疑問を抱いている人。
- 生活のために嫌な仕事を続けている人。
- これからの生き方を模索している若い世代。
そんな人たちにこそ、一度手に取ってほしい一冊です。
先ほども言ったように、答えは書いてありません。でも、強烈な「問い」が提示されています。
その問いに向き合うかどうか。それは、読者であるあなた次第です。 ボクは、向き合うことを選びました。あなたはどうしますか?
それではまた。
ありがとう!