元気ですか〜?!
どうも、ろけねおです。
今回ご紹介いたします本は、ボク的には浅田飴のCMが印象的な永六輔さんの本でございます。
大往生
2025年前期に放送が予定されているNHKの朝ドラ『あんぱん』
『あんぱん』はボクの毎朝の楽しみだったわけですが、終わって心にぽっかり穴が空いたようです。
このドラマで、本書の著者である永六輔さんがモデルとなっているキャラクターが登場しました。
これまで名前は存じ上げていたものの、彼が一体何を成し遂げた方なのか、その輪郭はぼんやりとしていました。
もっと永さんのことを知りたい。
その思いから、かつて200万部を超える大ベストセラーとなった本書を手に取った次第です。
本書の概要:市井の老人たちが語る「老・病・死」
まずは、本書の基本情報をご紹介します。
- 著者: 永 六輔
- 出版社: 岩波書店
- 発売日: 1994年3月22日
- 内容紹介: 放送作家、作詞家として活躍した著者が、日本全国で出会った市井の老人たちの「声」を集めた一冊。「老い」「病」「死」をテーマに、思わず笑ってしまうものから、ハッとさせられるもの、深く考えさせられるものまで、飾り気のない本音の言葉が詰まっています。人生の達人たちの言葉を通して、「よく生き、よく死ぬ」とはどういうことかを問いかけます。
本書は、以下のような構成になっています。
- まえがき
- 1 老いー「人間、今が一番若いんだよ」
- 2 病いー「医者に文句を付けるのが大切なんです」
- 3 死 ー「生まれてきたように死んでいきたい」
- 4 仲間ー「怖がらなくてもいいと言い」
- 5 父 ー「死にたくはないけれど」 弔辞ー私自身のために
ページをめくると、現代の私たちが忘れかけている、あるいは目を背けているテーマについての、珠玉の言葉が並んでいました。
思わず頷く、老いのリアルとユーモア
本書には、高齢者たちの日常を切り取った、リアルでユーモアあふれる言葉が満載です。
「九〇度、腰の曲がった婆さんが、仰向けに寝ました。ハイ、足は九〇度に立っているでしょうか?」
この問いかけに、答えは書かれていません。
足が立っているような、いないような…。
近所で90度に腰が曲がったお爺さんが、猛烈な前傾姿勢で自転車を漕いでいる姿を見たことがあり、この光景を思い出して思わずクスッとしてしまいました。
「九十歳で元気なバアさんに、牛乳を飲むと長寿になるから、我慢して飲みなさいって医者が言うんだってさ。・・・・・バアさんは、この歳になって今さら嫌いなものはいやだって言ってるんだよ」
これは「そりゃそうだ」としか言えません。
100歳を超えても好きな炭酸飲料を飲み続けたおばあさんの話も聞いたことがあります。
健康のためにと嫌いなものを我慢するより、好きなものを楽しむほうが精神衛生上よほど良いのではないか、とボクは思います。
「しびれ方を説明して下さい。ピリピリですか?ジンジンですか?ズンズンですか?チカチカですか?・・・違いますか。じゃ、あなた言ってみて下さい」
これは病院で誰もが経験することではないでしょうか。
自分の体の痛みを的確な言葉で表現するのは本当に難しいものです。
これから表現力を磨いておかなければ、と妙なところで焦りました。
これはどうなのか?違和感を覚えた言葉たち
一方で、素直に頷けない、強い違和感を覚えた言葉もありました。
「老人を預けにきた家族が週休二日制でさ、その老人を世話している俺たちが、なんで休みがとれないんだよ!他人に親を押しつけやがって、面会に来て孝行面をするんじゃねェよ」
これは老人ホームで働く若者の言葉だそうです。
様々な事情で、自宅で介護ができないからこそ、お金を払ってプロにお願いしているのです。
待遇への不満を、家族にぶつけるのは筋違いではないでしょうか。
このような考えの人がいる施設には、安心して親を預けられません。
「年寄りが若い連中に謝ることなんかない。絶対にない!」
ボクは「老いては子に従え」という言葉を大切にしたいと思っています。
年齢に関係なく、学ぶべき点は学び、非があれば謝る。そんな謙虚さを失った老人にはなりたくありません。
むしろ、現代においては若者の方が優れている点も多いと感じています。
「煙草の害についていろいろ言う先生がいるけど、煙草の益についてはどうして何も言わないの?」
タバコに「益」があるのでしょうか。
もしあるとしても、それは個人的な嗜好の範囲であり、医師が医学的見地から「益」を語ることはないでしょう。
「百害あって一利なし」の代表格ですから、益など考えず楽しむために吸うものだと思います。
「薬が効かない時は医者に文句を言うべきですよ。効かないからって医者を替えちゃいけないんです。」
普通は「薬が効きません」と医師に相談すれば、別の薬を処方してくれるはずです。
「文句を言う」という発想自体が、少し面倒な人だなと感じてしまいました。
自身の生き方と重ねて考えたこと
本書の言葉は、ボク自身の生き方や将来についても深く考えるきっかけを与えてくれました。
「まず義理とつきあい。これを捨てることで、健康を守っております」
ボクはもともと義理や建前の付き合いが苦手で、友人も少ないタイプです。
しかし、人間関係のストレスが全くないわけではありません。
特に会社でのストレスは大きく、これがなくなれば健康になれるのに、と常々感じています。
早く定年が来ないかと願うばかりです。
「自分で排泄の始末ができるというのが、人間の尊厳なんだけどさ。(中略)両手の不自由な老人が、美女と(トイレに)入ってきて、(中略)美女がオチンチンを振ってズボンに納めてるのを見ちゃってさ・・・・・いいなァと思ってさ・・・・」
どうせ介護されるなら美女が良い。
不謹慎ながらも、多くの男性が共感するのではないでしょうか。
そうなるためには、十分な経済力が必要です。
美女に介護してもらえるような徳を積むためにも、今から頑張らなければなりません。
「平均寿命っていうとめでたく聞こえるけれど、そこまで生きたら覚悟しろっということでしょう」
これはハッとさせられる視点でした。
平均寿命が、死へのカウントダウンのように感じられて怖くなります。
しかし、生きていること自体が死へのカウントダウンなのだから、過度に気にする必要もないのかもしれません。
ボクの目標は、父より一日でも長生きすることです。
「手紙の返事も書けない忙しさは、人間として恥ずかしい」
これは「借りたら返す」という考えから来ている言葉だそうですが、最近のボクは少し考え方が変わりました。
お返しを義務のように考えるのではなく、自分がしてあげたい時に、できる範囲で誰かに親切にする。
それで良いのではないかと。返事を期待して手紙を書く人も少ないはずです。
まとめ:「どう死ぬか」は「どう生きるか」
「死ぬ前になりますと、人間は炭酸ガスが増えるんです。この炭酸ガスに麻酔性がありますから、最後はそれほど苦しまずに終われるようにできているんです」
本書で紹介されていたこの話は、死への恐怖を少しだけ和らげてくれました。
ここ数年で祖父母が相次いで亡くなり、死について考える機会が急に増えました。
遺体を見ても、棺を担いでも、彼らが「無」になったという実感が湧きません。
「しばらく会えないだけ」という感覚が今でもあります。
自分が死ぬとはどんな感じなのだろう。その感想を残せないのが残念です。
この『大往生』に収められた言葉の数々は、今のボクには共感できるものもあれば、全く理解できないものもありました。
しかし、自分がもっと歳を重ねた時、これらの言葉はどう響くのでしょうか。
その時、またこの本を読み返してみたいと思います。
この本は、単なる「老人の言葉集」ではありません。
これから老いを迎えるすべての人々が、「どう生き、どう死ぬか」という根源的な問いと向き合うための、最高の教科書なのかもしれません。
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老いを考える上で、こちらの本も非常に参考になりました。
それではまた。
ありがとう!
