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【読書感想文】50代こそ読んでほしい芥川龍之介『杜子春』|人生経験が深める文学の味わい

元気ですか〜!?

どうも、ろけねおです。

今回今回ご紹介いたします本は、知らない人はいないのではなかろうかと思われる芥川龍之介さんの本でございます。

杜子春

ボクが愛してやまないバンド、人間椅子のアルバム『苦楽』に収録されている『杜子春』という楽曲をご存知でしょうか。

この曲の元ネタが、かの有名な芥川龍之介の小説であろうことは知っていました。

しかし、恥ずかしながらボクは、日本文学の巨匠であらせられる芥川龍之介の作品を、この歳になるまで一度も読んだことがなかったのです。

大好きな楽曲をより深く味わうため、そして日本が誇る文豪の世界に少しでも触れるため、今こそこの『杜子春』を読むべきではないか。

そんな思いに駆られ、50代にして初めての“芥川体験”をすることにしました。それは、実に味わい深い読書体験の始まりでした。

日本文学の巨匠・芥川龍之介が描く『杜子春』とは

まずは、著者と作品の基本情報からご紹介します。

  • 著者: 芥川 龍之介
  • 紹介: 1892年生まれ。東京帝国大学在学中に発表した「羅生門」で注目を集め、「鼻」は夏目漱石から絶賛されるなど、早くからその才能を開花させた日本を代表する作家。緻密な構成と洗練された文章で知られるが、1927年に自ら命を絶つという悲劇的な最期を遂げた。
  • 書籍情報: 本記事ではKADOKAWAの文庫版を参考にしています。

『杜子春』は、中国の古典を題材にした短編小説です。金に翻弄され、人間の醜さに絶望した青年・杜子春が、仙人になるための修行を通じて本当に大切なものを見つけていく物語です。

「金の切れ目が縁の切れ目」人間の醜さに絶望し、俗世を捨てる決意

物語の序盤、大金持ちになった杜子春の周りには、おこぼれに与ろうとする人々が雲のように集まってきます。

これはまるで、宝くじに高額当せんした人の周りに、急に親戚を名乗る人々が現れるという話のようです。

人の本質というのは、今も昔も変わらないのかもしれません。

しかし、杜子春が財産を使い果たすと、あれほど親しげにしていた人々は手のひらを返し、彼をまるで存在しないかのように扱います。

まさに「金の切れ目が縁の切れ目」

再び大金持ちになればまた人々は群がり、無一文になれば蜘蛛の子を散らすように去っていく。

このあまりにも露骨で薄情な人間の姿を目の当たりにし、杜子春は人として生きることにさえ、うんざりしてしまうのです。

仙人への道、それは沈黙の試練と感情の喪失

人間不信に陥った杜子春は、不思議な老人(仙人)と出会い、自らも仙人になることを決意します。

仙人になるための試練はただ一つ。

「いかなることがあっても、決して声を出してはならない」というものでした。

杜子春の決意は固く、どれほど恐ろしい化け物が現れようと、どれほど身体を切り刻まれようと、決して声を発しませんでした。

しかし、声を出すまいと耐え忍ぶうちに、彼の心からは徐々に感情が失われていきます。

喜びも、悲しみも、怒りも、恐怖さえも感じない。彼はただそこに在るだけの、生きた肉塊のようになっていくのでした。

すべてを無に帰す一声「お母さん」仙人の道より大切なもの

感情を失い、もはや仙人になるのも時間の問題かと思われたその時。

杜子春の目の前に、地獄の責め苦に遭う両親の姿が映し出されます。

それでもなお、彼は沈黙を守り続けます。

しかし、やせ衰えた母親が、自分を責めさいなむ鬼たちに向かって「どんな苦しみも厭いません。ですが、息子だけはお許しください」と懇願した瞬間、杜子春の心の堰は決壊します。

「お母さん!」

この一声で、杜子春の仙人になる夢は潰えました。

しかし、この場面は痛いほどよく理解できます。

ボク自身、自分への悪口には耐えられても、大切な家族や友人を貶されると、途端に冷静ではいられなくなります。

特に男性にとって母親という存在は、良くも悪くも人生から切り離せない、最も特別な存在ではないでしょうか。

その母親が目の前で苦しめられていて、黙っていられるはずがありません。

杜子春は仙人になることを自ら放棄し、一人の人間として、母親のそばにいることを選んだのです。

師が本当に伝えたかったこと。人として生きる幸福とは

杜子春を人間の世界に送り返した仙人は、最後にこう告げます。

「もしお前が、あのまま黙っていたら、おれの弟子にするつもりはなかった。きっとお前の命を絶ってしまったろう」

仙人になるための試練は、実は「人間らしい心を失わないかどうか」を試すためのものだったのです。

どんな神通力を手に入れても、親を思う心、人を愛する心を失ってしまっては意味がない。

仙人は、杜子春に人として生きることの尊さを教えるために、あえて厳しい試練を与えたのでしょう。

そして、褒美として畑付きの家を与え、真面目に暮らすよう諭して去っていくのです。

正直に言うと、浪費を繰り返す杜子春のどこに「見どころ」があったのか、ボクには最後までよく分かりませんでした。

また、人間椅子の楽曲と物語がどうリンクするのかも明確には掴めませんでした。

※歌詞では早速「お母さん!」と歌ってはいますが・・・。

それでも、この物語は十分に面白く、心に残る読書体験となりました。

芥川賞受賞作品

芥川賞という賞は、この芥川龍之介さんの名前から取っているのですが、これまで芥川賞を受賞した作品も読んでおります。

文学のことはわかりませんが、ただただしんどいだけのこの作品がなんで芥川賞を獲ったんだろ?と思ってしまいます。

50代の初体験で感じた、今こそ読むべき芥川龍之介の魅力

芥川龍之介の『杜子春』は、人間の醜さと、それを乗り越える無償の愛の美しさを描いた不朽の名作です。

仙人になることを諦め、人として生きる道を選んだ杜子春の姿は、私たちに「本当に大切なものは何か」を問いかけてきます。

もしあなたが日本文学の名作に触れたいと思っているなら、あるいは人間椅子の楽曲の背景を知りたいと思っているなら、ぜひ本書を手に取ってみてください。

短編なので、驚くほど気軽に読むことができます。

ボクのように50代で初めて芥川作品を読むのも、決して遅くはありません。

むしろ、人生経験を積んだ今だからこそ、金の恐ろしさや人の薄情さ、そして親のありがたみが身に染みて、物語をより深く味わえるのではないでしょうか。

それではまた。

ありがとう!

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