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【映画レビュー】映画『嘘を愛する女』を観て感じたモヤモヤの正体

元気ですか〜?!

どうも、ろけねおです。

今回は『嘘を愛する女』という映画の感想でございます。

嘘を愛する女

映画『嘘を愛する女』を観て、最初にボクが抱いたのは「このタイトル、内容と合っているだろうか?」という疑問でした。

物語は確かに、名前も仕事も偽っていた男性と、それを知らずに彼を愛していた女性の話ではあります。

ですが、ボクには主人公の女性が愛していたのは、名前や肩書ではなく、“彼そのもの”であったように思えてなりません。

「嘘」を愛していたのか?タイトルに対する違和感

そもそも、“嘘を愛する”というのは、嘘と分かっていながら、それでもなお愛し続けることを指すのではないでしょうか?

だとすると、この作品のヒロインは、少なくとも物語の大部分において“嘘を愛していた”わけではありません。

彼女は真実を知らずに愛していたのであって、そこに“嘘”を認識したうえでの愛は存在していないように思えました。

確かにラストシーンで彼の過去が明かされ、本当の名前や境遇を知ったうえで、彼を想い続ける気配はあります。

しかし、それはあくまでこれからの話。

つまり、彼女が“嘘”を愛するかどうかは、物語の“その後”に委ねられているのです。

偽造された免許証の意味と、その違和感

男は単に偽名を使っていただけではなく、なんと免許証まで偽造していました。

そこまでする必要があったのか?というのがボクの率直な感想です。

悲惨な過去があったことは描かれていましたが、それと身分を完全に偽る行為とは少しベクトルが違う気がしました。

本当に全てを捨てたかったのか、それとも何かしらの目的があって彼女に近づいたのか――そのあたりの説明が曖昧だったため、観終わってからもモヤモヤが残ります。

もし、彼女に近づいたのが偶然ではなく意図的だったとしたら、その“目的”をはっきりさせてほしかった。

観客の想像に委ねられるといえば聞こえはいいのですが、核心部分までぼかされてしまうと、物語としての輪郭がぼやけてしまいます。

「オチがない映画」のもどかしさ

物語全体を通して、男が偽名を使っていたという事実がじわじわと明かされていくだけで、ボクにはそれ以上の大きな展開があるようには感じられませんでした。

終盤にかけて感動的なシーンもいくつかありましたが、それが伏線として活かされるわけでもなく、ラストに向けてのカタルシスにもつながらない。

せっかく高まった感情をどこにぶつけたらいいのか分からず、返してくれと言いたくなるような気分にすらなりました。

映画というのは、分からなかったことが最後に“分かる”からこそ、観終わったあとに爽快感が得られるものだと思います。

しかし本作では、その“分からなかったこと”が、最後まで“分からないまま”で終わってしまったのです。

感情を置き去りにされた観客として

もしかすると、監督はあえて説明しないことで「余韻」を持たせたかったのかもしれません。

でも、ボクにとっては、その“余韻”は“気持ち悪さ”に近いものでした。

観客がストーリーの空白を埋めていく楽しさは確かにありますが、その空白が核心部分にまで及ぶと、ただの“説明不足”になってしまうこともあるのです。

『嘘を愛する女』というタイトルを掲げる以上、「嘘」とは何か、そしてそれを愛するとはどういうことなのか――そこをもっと丁寧に描いてほしかった。

今のままでは、“彼”を愛した女性の物語であっても、“嘘”を愛したとは言い切れない。

ボクにとっては、それがこの映画の最大の違和感であり、もったいなさでもありました。

気になる方はご覧ください。

それではまた。

ありがとう!

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