元気ですか〜!?
どうも、ろけねおです。
今回は『『週プロ』黄金期熱狂とその正体 活字プロレスとは何だったのか?』という本の感想を書いてまいります。
『週プロ』黄金期熱狂とその正体 活字プロレスとは何だったのか?
ボクはかつて、ターザン山本さんが編集長だった時代の『週刊プロレス』、通称「週プロ」の熱心な読者でした。
「活字プロレスとは何だったのか?」なんてタイトルを見れば、読まずにはいられません。
あの頃の「週プロ」は唯一無二のメディアだった
今のボクは、ほぼ「週プロ」を読んでいません。
プロレス自体は変わらず好きですが、かつてのように毎週買う習慣は途絶えてしまいました。
試合のリポートを読みたいと思ったときは、その試合について書いたブログのほうが面白いんじゃないかと思ってしまうのです。
でも思い返してみると、昔の「週プロ」も、いわばプロレスブログの集合体のようなものでした。
試合展開を逐一追うようなリポートではなく、その試合の意味や文脈、記者の思い込みや予想がふんだんに盛り込まれていました。
それが「活字プロレス」の魅力でした。
「週プロ」には、現実を動かす力があった
かつてボクはプロレスのことを書くブログをやっていましたが、プロレス界に影響用なことは一切ありませんでした。
それは単純にボクのブログが読まれていなかっただけということもあるでしょうが、もっと人気のあるブログでもプロレス界に影響を及ぼすようなことはないのかも知れません。
でも「週プロ」は違いました。
テレビで放送されないと潰れると言われていた時代、FMWやUWFといった団体を世間に浸透させ、支えたのは明らかに「週プロ」の存在だったと思います。
しかしながら、現在の「週プロ」にはそれほどの影響力はあるのでしょうか。
ターザン山本さんという存在
この本のラストにはターザン山本さんのインタビューが載っていて、これがとても面白かったです。
やっぱり当時の「週プロ」はターザンさんの色が強烈に出ていた。
実際は全ての記事をターザンさんが書いていたわけではないですが、他の記者の文にも彼の文体がにじみ出ていたように思います。
編集長が濱部さんに変わった後もしばらくは読んでいましたが、いつの間にか読まなくなりました。
あの頃感じていた「ターザン山本っぽさ」が薄れてしまったからなのかもしれません。
ボクは無意識のうちにターザン山本信者だったのです。
ボクも週プロの記者になりたかった
プロレスラーになりたいと思った子どもの頃。
でも身体が小さくて、それが難しいと気づいてからは、「週プロ」の記者になりたいと思っていました。
だって、試合を無料で観られて、好きなことを書いてお金がもらえるなんて最高でしょう?
でも編集部は東京。
大阪が好きで離れられずに、記者になる夢は断念しました。
そもそも「こんにちは〜」と編集部を訪ねたら即採用されると思っていたのですから、仮に東京に拠点を移したとしてもすぐに路頭に迷って、大阪に舞い戻ることになっていたに違いありません。
ブログも大して話題にもならなかったので、仮に記者になっていたとしても戦力になっていなかったんじゃないかと思います。
ブログという形で続いている「活字プロレス」
今ボクがブログを書いていたのは、当時「週プロ」の記者になりたかった気持ちの延長なんだと気付きました。
同世代でプロレスブログを書いている人は多いですが、みんな「週プロ」に影響を受けて、「活字プロレス」の世界に魅了された人たちなんじゃないでしょうか。
活字プロレスは滅びたわけではありません。
今はブログでもX(旧Twitter)でも、誰もが自由にプロレスを語り、熱を共有できる時代です。
かつて「週プロ」を読んで「誰かと語りたい」と思った夢が、いまようやく叶っているのだと感じています。
結局今はプロレスについてほとんど何も書いていないわけですけどね。
ブログを続けているというのは、この時に火がついた活字プロレスをしたいという思いが今でもくすぶり続けているからなのかも知れません。
結局、本の内容についてほとんど触れませんでしたが、気になる方は一度お読みください。
それではまた。
ありがとう!
