どうも、ろけねおです。
今回はこちらの本を読みました。
自分を鍛える!
ありとあらゆるところを鍛えなければならないボクなので、これを手に取った次第です。
「鍛える」ということが習慣にならないという悩みを抱えています。
新鮮味のない内容だったけど
これまでもうちょっとちゃんとした大人になるために、自己啓発書をちょこちょこ読んできました。
そんなに感じで50歳超えてしまい、特に何か良くなったことがないままにちゃんとしてないままにゴリゴリの大人になってしまいました。
それもこれも本を読んだところで、何もしなかったからなんですがね。
さて、この本にはこれまで読んだことのある自己啓発書と同じような感じで、特に目新しいことは見つけられませんでした。
自己を啓発する内容はもうコスりまくられて、画期的に自己を啓発する方法なんてないのかも知れません。
というか、これまでボクが読んできた同じ感じの本がこの本のオマージュなのかもしれませんが。
ともかく、自己を啓発する方法はもう知っているということになるので、あとは実際に自己を啓発するだけなのです。
本を置いて行動しないといけません。
モヤモヤした読後
内容の新鮮味のなさは置いといて、何とも言えないモヤモヤした読後感を味わっていました。
それは一体何なのか。
なんだか内容がイマイチ頭に入ってこない感じがあるのです。
知っている内容だから良かったものの、全く知らない内容だったら、少々理解に苦しんだかもしれません。
思えば同じような頭に入ってこなさ加減を以前読んだ本でも感じたことがありました。
たまたまかも知れませんが、この本と同じ方が訳しておられました本です。
この本です。
この本を読んだ時も読んでいるときは実にいいことが書いてあるな〜と思うことも多かったんですけども、読み終えてみると「で?何が書いてあったん?」という感じになってしまいました。
今回の本もまた「で?」となってしまい、結局一体何をしたら良いのかわからなくなってしまったのです。
単純にボクの読解力がないだけなのかも知れませんが。
原書が読めれば問題ないのでしょうが・・・。
訳書は苦手
以前から、外国人の書いた本の訳書というのは、どうにも頭に入ってきにくい印象を受けていました。
表現が回りくどく、喩え話がイマイチ、ピンとこないのです。
これは外国語で書かれたものを日本語にするというのが、そもそもムチャなことなんじゃないかな〜と思えて来ました。
前からそんな気がしていたんですが、何しろ英語を読めませんから、訳していただける人の力をお借りしないことには全然読めませんから、仕方がないのです。
この本も英語が読めると、全然違う印象になるかも知れませんね。
きっと元々は英語で書かれていると思うんですけど、普通、英語は結論から入ります。
だから、この本みたいな回りくどい印象を受けないような気がするんです。
これを余すことなく日本語にしてしまうと急に回りくどくなるんじゃないかという気がします。
つまりは日本語が回りくどいということですね。
そうなると日本語の本が全て回りくどくないと変なのですが、日本人が書いた日本語の本でここまで回りくどさを感じることはありません。
原書ではわざわざ説明しなくても、この本の原書の言葉が母国語の人ならば何となくわかってしまうようなことが、日本人にはわかりづらいので、それを説明するために、特に回りくどい感じにはなっているのではないでしょうか。
やっぱり元々書かれた言語で読めるのがベストってことなんですね。
背景を知れば言葉の意味がわかる
言葉は単に単語の意味を知ってるということだけでは理解したということにはなりません(たぶん)。
文化とか風習とか風俗とか、そういうものもちゃんと理解してないと、その本に書かれた本当の意味を理解できないのです。
その辺りをこの本の中で完結させるために、ちょいと回りくどい文章になってしまっているのではないかと思います。
ここは本から受ける回りくどさを省いたサマリーを自分で作って、それを行動に落とすということをしたほうが良さそうです。
若干手間がかかるとはいえ、せっかく読んだのに、何も頭に残らないというのはもったいないですからね。
ともかく読んだだけではどうにもならないということです。
それではまた。
ありがとう!