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【読書感想文】『聖の青春』大崎善生

元気ですか〜!?

どうも、ろけねおです。

今回読ませていただきました本はこちらでございます。

聖の青春

将棋のルールは知っているのですが、長く考えることが苦手でメチャクチャ弱いです。

小学生の時だったか、理由は忘れましたがちょっとした将棋ブームがウチの学校に到来しまして、持ち運べるマグネットの小さい将棋盤を買ってもらったりしてちょっとだけやったんですが、全然強くならなかったです。

だいたいのことはすぐにコツを掴んで、普通にやれるぐらいになるタイプなのですが、将棋はダメです。

ちなみに囲碁もさっぱりです。

なので、将棋にはネガティブなイメージがあります。

以前こちらの映画を観まして

ずっと気になっていたので原作本を読んでみました。

正直、映画よりも遥かに良かったです。

映画はほんの一部分を切り取っただけで、この本の内容の10分の1も表現できていないように思いました。

映画を観て感動した人はぜひ読んで欲しいです。

もっと早く、この本に出会えてたら良かったな〜と思いました。

出来ればもっと若い時に読みたかったと思わせる内容でした。

自分の体と向き合う

運が悪いと言ったらそうなのかもしれませんが、お医者さんの言うことを鵜呑みにしてしまったがために手遅れになっちゃったという話なんですが、それが人生でなんと2度もあるなんてビックリです。

怖い話です。

村山聖さんはネフローゼという病気を幼いころに患い、晩年は膀胱がんに侵されます。

どちらも最初に観てもらったお医者さんにはそれぞれの病気を見つけ出すことは出来ませんでした。

ネフローゼは風邪だと言われ、膀胱がんが原因で血尿が出ていたのですが、ストレスから来る一時的なものと診断されています。

きっとこういうことは普通にあることなのかもしれないと思いました。お医者さんだって誤診しようと思ってやってるはずはないので、仕方ないことなのかもしれません。

なんかおかしいな、と思ったらセカンド・オピニオンを聞いてみるべきですね。

誤診では?セカンドオピニオンどうすれば?

以前、心臓外科医さんの本を読んだとき、人の体のことは医学がずいぶん発達したとは言えわからないことが多いと書かれてあり、いろんなケースを観た経験値をたっぷり積んだお医者さんでないと、本当の病状がわからんというのが本当のところであると知りました。

それでもお医者さんはわからんな〜と言うわけには行かないので、自分が知りうるあらゆる可能性の中から一番しっくりくる病名を告げているという感じなのでしょう。

そうなると、いろんな病院に行って、いろんなお医者さんに診てもらわないと的確な治療はできないということになります。

自分の体の異常にいち早く気がつくということも大事で、それが鈍っていると他の意見も聞いてみようかということにはなりませんから。

日頃から自分の体と対話しないといけないと思わせてくれました。

師匠・弟子がいるということの羨ましさ

ボクには師匠も弟子もいません。

ついでに書いてしまえば、上司はいても部下はいません。

さらに親はいても子供はいません。

師弟愛が見事に描き出されている本作を読むと、自分も誰かの弟子になるという選択をしたほうが良かったな〜と思いましたし、年齢的には弟子を取るというようなことがあったら良いのにな〜とも思います。

弟子を取ったところで何を教えんねんという根本的な問題がありますが・・・。

師匠や弟子という存在があるというのが本当に羨ましく思いました。

親子でも兄弟でもなく、当然友達でもない、特別な関係です。

この特別な関係は人生を豊かにしてくれるように思わせました。

この関係でないと感じられないこと、経験できないことがいっぱいあるんだろうなと想像しました。

読んでる最中はどっちかといえば村山さんの師匠の森さんの気持ちになっていることが多かったです。

自分が師匠側の年令に達しているのだなと実感しました。

弟子を取るのはともかく、誰かの弟子になるのは今からでもできるんで、誰かいないかな〜と考えさせられました。

弟子とかそういうことではなくとも、自分より年下の人と話す機会があまりないので、それもよろしくないですね。

たまにあったとしても、やっぱり説教臭くなっちゃうのかな〜と思うと躊躇しちゃいます。

村山聖を知ると必死という言葉が使えなくなる

本来、誰しもいずれは死を迎えるわけですから、村山さんのようにまさに「必死」に生きるほうが良いのかもしれないとは思います。

だけど、あまりにも死が遠くにあるような気がして、なかなかここまでにはなれません。

濃密な生き方をするためには命をかけないと無理なのかも知れません。

スティーブ・ジョブズの有名な話で『もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定を私は本当にやりたいだろうか?』というのを聞いたとき思いました。

この言葉は、誰だっていつ死ぬかわからないんだから、自分が本当に好きなことを、やりたいことをして思いっきり生きようと言っているのです。

「必死」になれよってことです。

でも、今日が最後の日だったら、きっとボクは早々と諦めて何もしないでしょう。

結局座して死を待ってしまいます。

今日で死ぬのなら何をして同じだと思うタイプです。

村山さんのようにいつ死ぬかはわからないにしても、そんなに長くは生きられないだろうくらいでないと「必死」になれないかもしれない、いやそれでも自分ならその運命に悲観してやっぱり何もしないかもしれない、といろいろ考えました。

結局「必死」になるもならないも、自分の置かれている状況は関係ないのです。

ただ「必死」になればいいだけなのです。

将棋に出会ったから「必死」になれたとか、病気になったから「必死」になれたとか、そう考えることもできるでしょうけど「必死」になるかならないかの選択は自分でするしかないのです。

「必死」あるいは「一生懸命」とか「真剣」とか割とカンタンに使ってしまいますが、この本を読んだあとは、使うのがとても恥ずかしくなってしまいます。

かつてボクは、プロミュージシャンになろうと「必死」になっていました。

いや自分なりに「必死」になっていたつもりだっただけで、この本を読んだ後には「必死」どころか「一生懸命」にも「真剣」にもやっていたわけではなかったなと思わずにはいられません。

その中途半端さに恥ずかしくなりました。

ここに本当の「必死」があります。

男ならこの生き方に心が揺さぶられないはずはありません。

間違いなくカッコいい。

シビレました。

若くしてお亡くなりになったことは不幸なことなのかもしれないけど、この生き様がとても羨ましく思ってしまいました。

それではまた。

ありがとう!

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