元気ですか〜!?
どうも、ろけねおです。
今回読みました本はこちらでございます。
杜子春
先日、人間椅子のニューアルバムを聴いたことをここに書きましたが、
このアルバムの1曲目が『杜子春』という曲でして、それを聴いて元になった小説を読んでみようか、という気持ちになりました。
人であることをやめたくなる
突如お金持ちになってしまった杜子春の周りにはおこぼれをもらおうとする人が集まってきます。
よく宝くじがあたって突然大金を手に入れたことが周りに知れると、急に親戚が増えて、お金の無心にやってくるという話を聞いたことがありますが、古今東西そういうものなんでしょうね。
ボクは突然お金持ちになったこともなければ、突然お金持ちになった友達もいませんので、金の無心に来た友達も金を無心しに行ったこともありません。
ゆえに、その時どういう気持ちで無心に来たのか、行ったのか、どっちもわかりません。
無心に行く人は相当お金に困っていて、そんなにたくさんあるんだったら少しぐらい分けてくれてもバチは当たらんだろう、そういう感じなんでしょうね。
杜子春にお金がなくなると、まるで杜子春がそこに存在すらしてないかのごとく周りの人は振る舞うのです。
金の切れ目が縁の切れ目といいますが、そういうことなんです。
再び杜子春は大金持ちになりますと、またしても人が群がってきて、使い果たしてしまうと蜘蛛の子散らしたように人は去っていくのです。
あまりに薄情で醜い姿に、杜子春はいよいよ人として生きていくことさえもうんざりするのです。
人の醜い部分を目の当たりにすると、自分も同じ人であることが急に嫌になったりするものなのかしら。
そして杜子春は仙人になろうとするのでした。
仙人とはなんだ?
仙人という言葉は知っていても、その定義をよくわかりません。
1 俗界を離れて山中に住み、不老不死で、飛翔(ひしょう)できるなどの神通力をもつといわれる人。道教で、理想とされる神的存在。仙。神仙。仙客。
どうも人ではあるようですね。
ただ、ただの人にあらず、世俗との交わりを断っているとのことなので、そんな仙人とで何度も出会っている杜子春もまた、そもそもただならぬ人だったんでしょう。
※この出会いがあったから自分も仙人になろうとしたのです。
メンターというところでしょうか。
師匠でもありますか。
こういうのを読むと、自分にメンターも師匠もいないことが実に残念な気持ちになります。
師匠というのは、きっと探しに行く人物ではなく、むしろメンターやら師匠やらに見つけてもらうものなのかなと思えてきました。
つまり今、そういう人に出会っていないということは、まだそういう人に見つけてもらっていないということです。
それはさておき、そもそもただならぬ人ではあっても、もうひと押し足りないという人の前に仙人は現れるんでしょうね。
杜子春は見どころある若者
仙人になるための修行とは、如何なることが身に降りかかろうとも一切声を出してはならないというものでした。
何とか声を出さそう?と様々なことが起こります。
杜子春の仙人にならんとする気持ちは本物で、どれだけひどい目に会おうとも恐ろしいものを目にしても声を出さないのでした。
声を出さずに耐え忍ぶと、徐々に感情を失っていき、何が起ころうとも何も感じなくなってくるのでした。
そこにただ在るだけの肉塊となっていくのでした。
しかし、自分の両親がどエラい目に合わされるのを目の当たりにして、ついに杜子春は声を出してしまう。
「お母さん」
これはよく分かる話で、自分の悪口は結構耐えられるんですが、自分が大切にしている人や物を貶された時は異常に頭にきます。
男にとって母親というのは、その影響下からは逃れられない最も特別な存在です。
道徳心や女性の好みや味覚、大体の男性は間違いなく影響を受けています。
だから、マザコンというわけではなくとも、みんなお母さんは大好きなのです。
それがひどい目に合わされていては黙っていられるはずはありません。
杜子春はお母さんに寄り添うため、仙人になることを諦め、人として生きていくことを選ぶのでした。
師匠の仙人はもしも両親を見捨てるようなら、その場で杜子春の命を奪ったと語り畑のつきの一戸建てをプレゼントして、人として生きていくことを指示して去っていくのです。
仙人というのは、上で調べたとおり世俗との交わりを断っているのです。
神通力はあるものの、それは自分のためには使えないのかも知れません。
だから見どころのある若者である杜子春には、人に愛想つかさずに親を思う心があるならば、人として生きていくほうが幸せになると仙人は思ったのでしょう。
そして、またしても世話を焼いたのです。
大金を3年で使い果たすこと2回。
そんなことをやらかしてしまうような杜子春のどの辺に見どころを感じたのかはわかりませんが、この後杜子春がどうなったのかが気になります。
見どころがあることを証明出来てると良いですね。
いったい、この物語にどういう意味があるのかよくわかりませんし、人間椅子の曲『杜子春』とどのあたりがリンクするのかよくわかりませんでしたが、楽しめました。
ちなみに有名過ぎる作家である芥川龍之介さんの本を読むのは初めてでした。
50代にして初体験はありがたいです。
それではまた。
ありがとう!