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【読書感想文】 『憂鬱でなければ仕事じゃない』 見城徹・藤田晋

元気ですか〜!?

どうも、ろけねおです。

今回読ませていただきました本はこちらでございます。

憂鬱でなければ、仕事じゃない

タイトルを見て、憂鬱でないのが仕事ではないというのなら、憂鬱を感じることなく働いているとしたら、それは仕事でなくなんなのか。

「作業」ということなのかな?

世を忍ぶ仮の姿での上司は「お前のやっていることは仕事ではない」とよく言います。

ボクにだけでなく、部署にいるもの全員に対してですよ。

それも「仕事」とは何であるか、少なくとも上司にとってはどういう定義なのか。

それを一切説明することなく、いや本人的には説明しているのかもしてませんが、聞いている側としては理解できないままに、これを言われてしまうのでただ混乱するだけだったり、困惑するだけだったりしながら、今日も仕事だろうとと考えている何かをしています。

そんなモヤモヤした日々の中で、この著者のお二人は「仕事」の定義を教えてくれるのではないかと思い、手に取った次第です。

仕事は憂鬱だが、憂鬱なのことが仕事なのではない

ボクが世を忍ぶ仮の姿でやってる仕事は憂鬱になることが多いのです。

この憂鬱は、またさっきまで言ってたこととは違うこと言われるんだろうな、理不尽なこと言われるんだろな、というような憂鬱です。

思いつくだけの対応策は用意しているものの、それが見事に炸裂したことはほとんどないので憂鬱なるのです。

そしてお説教タイムが延々と続くのかと思うと、さらに憂鬱に指せるのです。

でも、このタイトルを見ると、一応「仕事」はしていることにはなるのかな?と思えました。

タイトルになっているだけであって、これが結論でしょう。

だったらウチの上司は「仕事」と定義しないものであっても、このお二人的には「仕事」をしているということになるのだと思いました。

ああ、良かった。

「仕事」してないとなると、世の中の何の役にも立ってない感じがして、生きてること自体が憂鬱になっちゃいそうです。

待て、生きてること自体が憂鬱だと、生きてること自体が「仕事」ってことなのか?

と一瞬バカなことを考えたのですが、何も憂鬱なことの全て仕事ってワケではなく、仕事というものは憂鬱なものだということなのです。

憂鬱になって当然。

それは「仕事」をしているからだ、と。

対談ではない

大人としての振る舞いというのか、社会人としてのスタンスというのか、そういうのものをお二方それぞれ個別に語っている本です。

パッと見、対談してるのかと思ってしまいますが、全然してません。

まず見城さんの考え方や思いをぶちまけて、それを受けて藤田さんが見城さんに共感しながらも、自分の考えを付け加えて語るという展開です。

藤田さんはずいぶん前から存じておったんですが、恥ずかしながら見城さんのほうは全く知らない人で、この本で初めて知りました。

師匠・メンター

良かったのか悪かったのかわからないけども、中学、高校と部活動では先輩がいない状況ばかりを経験してきて、頼りにするような年の近い、年上の人という存在が、若い時から全然おりませんでした。

しかも若い頃はそんな存在なんて鬱陶しいだけだと思ってました。

体育会系にありがちな、アホでもバカでも歳が1つでも上だというだけで偉いという風潮が今でも大嫌いなので、先輩がいないことは自分にフィットした状況で、ラッキーと思っておりました。

勤め人になってからは当然先輩はいますが、人生について、仕事について、こりゃ凄い、素晴らしいなどなど賞賛を送りたい、尊敬の念を抱くような方には、お会いしたことがほとんどありませんでした。

自己啓発書を読みますと、メンターという言葉が出てきます。

成功なされている方には、このメンターという存在がおられることが多いんですね。

師匠とか先生というかそういう存在ですかね。

そういう意味ではボクにはメンターはいません。

だから、メンターがポッと眼の前に現れてくれたら良いのにな〜と常々思ってます。

※メンターというのは、探しに行って見つけるのではなく、たまたま出会うんじゃないかと思っているフシがあるので未だに出会えてないように思ってます。

50超えて何を言うとんねんと思うと同時に、いくつになっても学ぶことは重要だしな〜とも思います。

なんだったら年が下のメンターでも現れてくれたら良いのにな、とも思っています。

そんなところで、この本です。

この本の著者のお二人は、まさに師匠、メンターと呼びたい感じが文字に漂ってます。

藤田さんにいたってはボクより年下なんですけどね。

特に見城徹さんは写真でもお分かりのように、イカつい顔しておられてド迫力です。

師匠というか親分と呼びたい風格たっぷりです。

それは何も顔を見たからだけではございません。

そのありがたい言葉の数々が、人生の師と仰ぎたい、もっとこの人の言葉を浴びたいと思わせましたからです。

やや厳し目に語られる言葉には、ついつい反発やら反論やらしたくなることが多いものですが、見城さんの言葉には、一切の反発も反論も浮かんできませんでした。

完全にやられた状態になってしまいました。

見城さんが上司だったら、今よりキツいことになっていたかも知れませんが、納得はしていたでしょうね。

お二方とも経営者でありますが、こんな経営者になりたいというより、こんな男になりたいと思わせます。

この男が男に惚れる感覚が、上司との関係の中で生まれると「作業」も「仕事」になるんじゃないかと思いました。

こんな生き方が出たらカッコええやろな〜とか、こんな生き方を下の世代に受け継いで行きたいなとか思いました。

きっとその内容は記憶の彼方に消えてしまうことでしょうから、事あるごとに読み返して、自分の中に取り込みたい。

そんなよろしい本でございました。

それではまた。

ありがとう!

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