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【読書感想文】 『多読術』 松岡正剛

元気ですか〜?!

どうも、ろけねおです。

今回はこちらの本を読みました。

多読術

実は結構前にこの本を一度読んでおりました。

その時はサッパリわかりませんでした。

お陰で感想文すら書けませんでした。

だから、もう二回三回とは読まないかなと思ってしまいまして、捨てようとしてました。

ところがなぜか、再び読んでみようと思ったのです。

多読術なのに読む気が失せたのに

一回目はよくもま〜ここまで、ボクの知らない言葉ばっかり並べて喋れる(書ける)もんだなと若干腹が立ってました。

タイトルが多読術なのに、読むを気を早々になくしてしまいました。

それなのに、二回目を実際読んでみますとあら不思議。

以前の読みにくさがウソのようにスイスイと読めたのです。

いつの間にか、少しだけ成長していたんですね。

無知から未知へ

この本に出てきた言葉で印象的だったのは、「無知から未知へ」というものです。

全く知らないからサッパリわからないへの変化が読書の醍醐味なんだそうです。

「知らない」は何の感情も湧かないけど、「わからない」はワクワクしてきます。

わからないから知るのは楽しいのです。

人間には3つの欲求というのがありまして、「生きたい」と「仲間になりたい」とそして「知りたい」という知識欲が誰にでもあるのです。

それが満たされて、気持ちが良いんでしょうね。

初めはサッパリわからないであっても全然いいし、きちっと読めなくてもいい。

とにかく本を御飯を食べるように読むと。

服を着るように読むと。

日常のありふれた動作や行動の中に読書があるようになれば、もっともっと本は楽しいし、人生も楽しくなる。

この本を読むとそう思えてきます。

そして、とにかくたくさんの本を読みたくなります。

これぞ多読術。

本をノートとして使え

これまで本の上の端っこを折り曲げたり、付箋貼ったり、赤ボールペンで線引いたりしながら本を読んでいました。

付箋を貼っただけ、線を引いただけになっていたのもあります。

同じような読書術系の本を読むと、全く本を汚さずに読むのがベストという説もありました。

そこで付箋もつけず、線も引かずにしばらくは読んでました。

そんな中で、この本の松岡正剛さんは鉛筆で何やかんや書きながらお読みなられるというのです。

それを「本をノートとして使え」とおっしゃっております。

かつて線を引きながら読んでいた時は、その時思ったことなんかもメモしたりしていたんですが、同じ本をもう一度読む時、それがなかなかおもしろかったりするんですね。

自分は以前この本を読んだ時そんなことを考えていたのか、と。

そうすると、不思議なものでその本にまつわるエトセトラを思い出せたりするんですね。

そもそもそんなに読むのが早くないのに、メモまで読むので、いちいち時間がかかってしまいますし、書いてしまうとブックオフなどに売りに行くのがはばかられるので、少々困ります。

鉛筆、しかも2Bとか柔らかい芯ので書いたら、あとで消しやすくなるから、少しは汚れるだろうけど、何とか買い取ってもらえるかも知れませんね。

いや、ブックオフで勝った本に前の所有者のメモがあった本もあったな。

メモってもいいか。

というか、ページの端を折るよりはマシですかね。

よし、メモろう。

本を読まない子

ボクは子供の頃サッパリ本を読まない子でした。

親が本を読まない家の子供は読まないそうですが、思えば実家には親の本棚がありませんでした。

両親が本を読んでいる姿を見た記憶もありません。

だから、勉強しなさいと言われたことはあっても、本を読みなさいと言われたことはありませんでした。

なので、本を読むということにそこはかとなく抵抗がありました。

本を読むというのは、凄く難しいもの、そしてしんどいもの、面倒なものという思いがありました。

今は子供の頃に比べると本を読むようにはなりましたが、やはりどこか大変なことと捉えている部分があって「よし読むぞ」と気合を入れている自分がいました。

ところがこの本を読んで、もっとカジュアルに気軽に楽しむものである、そう思えるようになりました。

もっともっと本を読みたいと思わせるナイスな本でございました。

それではまた

ありがとう!

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