元気ですか〜?!
どうも、ろけねおです。
今回読みました本はこちらでございます。
京都ぎらい
ボクは京都市に生まれです。
今の今まで洛中だとか洛外だとか、そういう概念があることすら知らなかったんでボクの生まれたところはどうなんだろうとちょっと調べてみました。
西は西大路通までが洛中なんだそうですが、ボクの生まれたところは洛外でした。
いけず
洛外の人間は洛中の人からは差別される対象であることを知って、この本の味わいもぐっと深くなりました。
著者の井上さんは嵯峨生まれの宇治在住だそうで、ガッツリ洛外です。
実体験に基づく数々の京都人の「いけず」を紹介されています。
ボクの場合、幸いの人生のほとんどを大阪で過ごしていますので、この手の「いけず」をいただくことは今までありませんでした。
ただ、昔京都の大学に進学した知り合いが、京都人の感じの悪さを時々ボヤいていたことを思い出します。
ボクは京都生まれなので、京都の人のことを悪く言われるのはあまりいい気はしなかったんですが、きっとボクは洛外の生まれなので、もしも洛中の学校に通っていたら同じような目にあっていたかも知れませんね。
しかもボクの両親は京都人ではないので、余計にえらい目にあったかも知れません。
むしろ大阪生まれの知り合いよりももっとこってり「いけず」されたかもしれないと、この本を読んで思いました。
生まれが京都だけにいつか京都に住みたいとか、人生のフィニッシュは京都が良いかもしれないなんて思っていたこともありましたが、この本を読んだこともあって今や一切そんな気持ちがなくなりました。
京都はたまに遊びに行くところという位置づけがいかもしれません。
親近感
本の後半は京都の歴史についての話ばかりですので、特に歴史にうとく、さらには京都の歴史というピンポイントな話になると余計にわからなくなってしまうわたしにとってはサッパリわやの連続で読むのが突如としてしんどくなりました。
もっと現在の京都における「いけず」の数々を知りたかったな〜と思います。
また、これを読みますと京都で見かけるお坊さんに対する気持ちにも変化が現れるはずです。
修業を重ねてお坊さんになったのではなく、お坊さんもまた修行中であるということがよ〜くわかります。
ずいぶんと勉強や修行をなされたからお坊さんをやっておられるんだろうと思い、ついついあげ奉ってしまいがちですが、お坊さんも我々ふつうのおっさんも大して変わりがありません。
ちょっと仏教に関して詳しいだけという認識になってしまいました。
ナメてるというわけではなく、以前よりも親近感が湧いたということです。
さすがに売れている本だけあって、面白かったです。
これを読んだ上で京都に行くと、これまでと違う味わいになります。
若干京都に行くのが怖くなってしまいまして、今のところ京都に足を踏み入れておりません。
自分が生まれたというだけで無条件で京都は良いところなんて思ってましたが、どんなところもオモテもあればウラもあるということがよく分かる良い本でした。
それではまた。
ありがとう!