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【読書感想文】センスは努力で身につく。『センスは知識から始まる』が教えてくれた希望

元気ですか〜!?

どうも、ろけねおです。

なんの根拠もないのに、「自分はセンスがある」と思い込んで生きてきました。

しかし、ふと冷静になってみると、「否、ない」。

そう気づいた瞬間、ボクは焦りました。

センスがないなら、どうやって磨けばいいのか?そんなときに出会ったのが本書『センスは知識からはじまる』です。

センスは知識から始まる

ボクはこれまで、センスは天から与えられる“ギフト”のようなものだと思っていました。

でも本書では、それをバッサリ否定しています。

センスとは「数値化できない物事の善し悪しを最適に判断する能力である」とあるのです。

つまり、ひらめきではなく「知識」と「判断力」の積み重ねだというのです。

この定義、ボクにはすっと入ってきました。

さらに面白いのは、「普通」という言葉の定義です。

普通=センスの良し悪しを判断する基準

これは、「普通=真ん中」と考えると納得しやすいです。

最も良いと最も悪いの間にあるのが「普通」。

つまり、センスの良し悪しは、突き抜けるか沈むかの差だということなんですね。

なぜ「センス」は一部の人にしかないと思い込んでしまうのか?

本書では、センスが特定の人にしかないと思われがちな理由についても語られています。

それは、「上手・下手」という評価軸が原因だと指摘されていました。

国語や数学のような教科は「できる・できない」で評価され、成長の余地があります。

でも、芸術や運動は子どもの頃から「上手・下手」でラベルを貼られてしまい、「自分にはセンスがない」と諦める人が多いのです。

この評価構造が、センスを育てる機会を奪っているんですね。

教育の中でセンスを伸ばす訓練がされないまま大人になる。

それによって、実際にセンスなく育ち、センスがないと思い込んでしまう人が増えてしまったのです。

子どもの少ない現代日本においては、一人でも才能を伸ばしてもらわにゃ困るのに、現在の教育体系ではセンス無しの人間を量産することになっているのです。

技術の進歩に閉塞感を感じている筆者。

そんな時に生き残るのにはセンスが必要で、センスを爆発させた千利休のような人物の登場が待ち望んでいるということだが、本書が出て数年経ち、そんな人物は現れたのだろうか。

人々の価値観の変えるほどの影響力を持つ人物が今の時代に現れるとは残念ながら思えません。

センスの良さはストレスが溜まる?

磨き上げたセンスでお金儲けをしておられる著者の水野さんは、誰でも今からセンスを磨き上げることを提唱をされているのですが、その中で磨くために必要なことをいくつかご教示いただいております。

まずはこちらです。

客観情報ほど大切なものはありません

これはつまりは自分の思い込みが邪魔になるという話なのですが、ボクはそもそも自分が「思い込んでいる」ということに、なかなか気が付かないんじゃないかと思えました。

だからこそ客観情報を入れないといけないということなのでしょうが、「思い込んでいる」ということはそれが正しいと思っているのですから、客観情報の入る隙間があんまりない気がします。

客観情報が大切であるという例として、自分の服を選ぶ時に好き嫌いで選ぶのでなく、自分にふさわしいのを選ぶというのがセンスがいいということになるというのが出てくるのですが、好きなものこそ自分にふさわしいと普通は考えてしまうのではないかと思っているので、好きだけどふさわしくないと判断するのが難しいかなと思いました。

また、自分では気に入らない服でも自分にふさわしい服なら、それを着ると「センスが良い」となるってことですから「センスが良い」となるのはストレスがたまるもののようにも思えました。

ストレスを溜めてまで、センスを良くする方を選択するのは、ボクはやってもいいかもとは思えましたが、人によってはしんどいのかな、と思えました。

知識量=センスの良さ

さて、センスは如何にして磨かれるのかというと知識の積み重ねによるものだということで、知識を増やすための方策が語られています。

効率よく知識を増やす三つのコツ – ①王道から解いていく②今、流行しているものを知る③「共通項」や「一定のルール」がないかを考えてみる

センスを磨くための知識を入れる時に、この方法を心掛けてモノを見たり本を読んだりするとセンスが磨かれていくのかもしれません。

急にふわっとする「精度」

最近、『リーガル・ハイ』のショート動画をよく見ているからだと思いますが、本書における何かの説明は全て、『リーガル・ハイ』の主人公の古美門研介の口調で頭の中に再生されていました。

つまり実に理路整然としていて、ボクにとってはわかりやすいものであったのですが、「精度」についての説明だけ、急にふわっとしたものになっていました。

センスが良いとなる要素には「精度」が高いこともあり、それは他人が見た場合に「なんかいい」になるということなのですが、精度が高いというのはどういうことなのかがボクにはピンときませんでした。

丁寧に細部まで手を抜かないということなのかな?

デザインの仕事してない者の態度

センスを磨く必要があるのは、何もデザインを仕事にしている人間でなく、そのデザインの採用・不採用を決める人間にも必要なのです。

それは提示されたデザインを見た時に、デザイナーに対してこのデザインに行き着いた根拠を問う姿勢が大事ということなのです。

しかしながら、「精度」についての話のところで、精度が高いデザインは他人に「なんかいい」という思わせるものであるということなのですが、デザイナーの「なんとなく」などのふわっとした回答はよくないのだそうです。

しかしながら、「なんとなく」には「なんかいい」があって、それはデザイナーが言語化できないというだけで、それがデザインが良くない、センスがないとはならないんじゃないかと思ってしまいました。

でも、デザイナーには提示されたデザインに至った理由はちゃんと聞いたほうがいいなとは思いました。

自分のセンス磨く方法

知識を積む以外にもセンスを磨く方法として、自分の好きなモノをあげて、その理由を書いて掘り下げるというワークが紹介されています。

自分の「好き」の根源を突き止めるということです。

しかし、

センスを磨く上で、好き嫌いでものを見るのは禁物です。

ということなので、好き嫌いとそれ以外の視点を行ったり来たりさせることが、センス磨きになるということなのかも知れませんね。

これは「なんかいい」となったものであったり、「なんとなく」と言いそうになった時にしっかり説明するためには有効なのかな、と思いました。

どんな仕事であっても、センスがあればいい仕事ができるとは思いますし、いくつになっても、これまで芸術的なことで低評価を受けてきた人であっても、磨くことができるものであることは、福音だと思いますので、自分のセンスの無さに頭を悩ましている人や仕事でセンスが問われる方は読んでみるべき本だと思いました。

気になる方はご一読ください。

それではまた。

ありがとう!

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