元気ですか〜?!
どうも、ろけねおです。
今回はこちらの本を読みました。
オタクはすでに死んでいる
自分のことを比較的「オタク」なのかもと思っていたのですけども、ホンモノの「オタク」に比べたら全然でしたね。
薄味の「オタク」
この本によるとボクはオタクの第2世代と同世代ということらしいです。
「オタク」と一口にっても、世代によってその言葉から受ける印象が違うし、印象どころか定義が違うのだそうです。
言葉は使われすぎるとその言葉の意味が薄れてしまう傾向にあります。
例えば「カリスマ◯◯」という言葉はあっちこっちでよく使われ過ぎて、「カリスマ」の意味が薄まってしまいましたね。
「カリスマ」というのは、そもそも人々を引きつけたり信服させるある種の人格上の特質や魅力を指すと意味になります。
かなり特別な人にしか使えない言葉です。
それがあっちこっちに頭に「カリスマ」がつく人が現れまして、その内「カリスマ」はちょっと人気があるくらいのものに思えて来ました。
「美人すぎる◯◯」とかもそうですね。
あんまり使うので美人であることは認めてもいいけど、美人が過ぎてしまうほどのことはないんじゃないか、と思わせることが増加しました。
「オタク」という言葉もまた、あまりにもメジャーな言葉になりすぎて、本来「オタク」が持っていた意味ではなく、普通の人より少し何かを夢中になっている人を、「◯◯オタク」と呼ぶようになって行きました。
「オタク」がすっかり軽くなってしまったので、本当の意味での「オタク」は死んじゃったというようなことを書いている本なのです。
一般に交じる「オタク」
また「オタク」はそもそも「オタク」と「一般人」をキレイさっぱり区別する言葉で、交わること、混ざることはなかったのです。
それがいつの間にか、普通の「オタク」というのか、一般人の大きな括りの中に「オタク」が存在するようになったおかげで、そもそも「オタク」という人種は消えてしまったんだそうです。
言葉そのものはこれからも使われるでしょうが、そもそもの意味するところ「オタク」はもうとっくに死んでいますよということが解説されていました。
確かにそんな気がします。
ドリルロマン
著者の岡田斗司夫さんが好きなので、とくに「オタク」には興味はなかったのに読んでしまいましたが、これまで読んできた岡田さんの本の中ではあんまり楽しめませんでした。
1番テンションが上ったのは、岡田さんの若いころの写真で持っているのが轟天号だった(多分)ということです。
子供の頃轟天号の出てくる「惑星大戦争」を観まして
ドリルの付いてる船にシビレました。
※ちなみにボクが観たのは宇宙で活躍する轟天号でしたが、上にアップしたフィギュアは海で活躍する海底軍艦の轟天号です。同じものなのかどうか、詳しいことは知りません。ごめんなさい。でも、名前一緒だし、見た目も似てます。
それから乗り物やロボットにドリルがついてると無条件にカッコいいな〜と思うようになってしまいました。
おかげで仮面ライダーフォーゼのドリルスイッチを起動させた時の姿を、初めて見たときはやっぱりテンション上がりました。
ピンとこない説明
「オタク」の死を説明するのに、ボクがほぼ知らない「SF」の死を語ることで、説明がされておりましたが、これも当然ピンときてません。
「SF」っていつの間に死んでたの?
最近「SF」って言わないの?と途中からそればっかり気になって来ました。
この本を読むにはボクはあまりにも無知過ぎました。
まるっきり「オタク」ではありませんでした。
岡田さんの本の楽しさは独自の岡田理論がキモだと思っています。
ボクの思いもよらない方向へどんどん展開していき、しかもそれがしっかり理屈をこねくり回されていて、そして最終的には納得させられてしまうところが楽しいのです。
ところがこの本に関しては、理屈をこねくり回した感があんまり感じられませんでした。
岡田さんがオタキングと呼ばれていた頃のことをほとんど知らないというのも、この本を楽しめなかった理由かもしれません。
もっと「オタク」について知ってから読むと違った印象になったと思います。
となると、まず先に
こっちを読んでおくべきだったかな〜と今更ながら反省しております。
何しろ入門書ですから。
しかし、入門書を書いた本人が「オタク」が死んでいると断言したものに入門するというのはいかがなものかとも思えて、結局のところ「オタク」に関しては、もういいやとなりました。
最近は「オタク」は「ヲタ」と表記されることが多くなったようで、もはやボクがなんとなく知っている気になっていた「オタク」というものとは別のものになっているみたいです。
それこそ今更「オタク」は知る必要もないかなと感じました。
それではまた。
ありがとう!