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【読書感想文】『格闘新書』堀部正史

元気ですか〜!?

どうも、ろけねおです。

今回読んだ本はこちらでございます。

格闘新書表紙図

格闘新書

91年に出た本なのでもう20年以上前の本です。

格闘技ブームが来る前の、第2次UWF崩壊直後くらいに出た本なのですかね。

楽しい本でございました。

本からいくつか引用して、そのことについて感想を書きます。

引用からの感想

日本ではフォークダンスに該当する盆踊り、阿波踊り、佐渡おけさなど集団舞踏から能、神楽、日舞に至るまで手をつなぐということがない。(中略)原因は着物にあるという。一枚の布を体に巻いた形の和服では、どうしても足の動きが制限される。(中略)足による表現力は封じ込まれたも同然だから、勢い表現は手を主体としたものになる。だから、手をつないだりすれば手の表現がいきてこない。

格闘技の話の中で急に踊りの話が出てくるんですが、 踊りと格闘技は切っても切れない間柄なんだそうです。

柔術の基本技術は”手ほどき”であった。相手に手をつかまれた時、どうやって、その手を引き抜くか、というのが”手ほどき”の技術であり、のちに、この言葉は、物事の習い始めに意味する語彙に変じて、現在に至っている。

なるほど何かを教える、教えてもらう時に使う「手ほどき」という言葉は柔術から来ているのですな。

相手の手をつかむという形は、刀を抜く、抜かせまいとする双方のコントロールテクニックとして理解すべきである。

日本の武術には手をつかむというテクニックが他の国の武術に比べて長けているのは、刀を持っていたからのようです。

何でも「手」を使っていたから日本人は手先が器用なったのかも知れませんね。

今後「サバット」がテコンドー並みの人気を得ていく可能性は大いにある、と私は思っている。

テコンドーはオリンピック種目なってますがサバット?は多分なってません。

いつの日か、人気を獲得するようなことがあるでしょうか。

ちなみにサバットとはこういう格闘技だそうです。

一般に、私たち日本人はただ強いだけの人間を好まない。そこに巧者のイメージがあって初めて我々はその人物を「強い」と認めるのだ。(中略)大関・小錦がいくら強くても、その成績とは別に「彼は横綱の器ではない」という声が根強いのも、ここに原因があり、単純に「外人差別だ」とは言えぬ問題を含んでいるのである。

個人的には小錦さんはただ強いだけではなかったように思いますが、何か大きな問題でもあったんですかね。

相撲も日本人だけでやるんじゃなしに、世界の人が関わるものになったんだからもうちょいわかりやすくしないといけないんじゃないでしょうか。

今はもう外国人横綱なんて珍しくも何ともないですがね。

今後も外国人力士が増えると、どうしても体力や体格で劣る日本人は不利になってしまうのかもしれませんが、国技ですから日本人が強く有って欲しいとは思いますね。

柔道についても、そのルーツは中国拳法にあるという声が根強い。

え、そうだったの? 民明書房はあながち嘘ではなかったのかと云う気になりました。 

達人というのは一般には技をかける天才だと思われているが、実は、技のかかりやすい状態を作り出す天才なのだ

嘉納治五郎さんの言葉らしいですが、何においてもそうなのかも知れません。

自分が最大限の能力を発揮する場を作るのが上手い人が達人なんでしょうね。

技自体の仕掛け、試合の展開は私の見るところ従来のプロレスを一歩も出ていなかったのである。

第2次UWFについてお言葉です。

ちなみに当時は凄い人気でしたが、ボクはさっぱり乗れませんでした。

従来のプロレスより遥かにつまらんと思っていました。

でも、そういう意見を持つことが恥ずかしいって感じもありました。

プロレスの進化について行けてないだけ、頭の硬いやつみたいにも思えてました。

当時はUWFが総合格闘技でしたが、実はやっぱりプロレスであったわけです。

この指摘は堀辺正史さんが正しかったんですね。

そもそも「八百長」という表現は、ルールのあるスポーツの試合での不正に対して使われるべきで、プロレスに使うべきものではない。

当時のプロレスファンはこの「八百長」という言葉と戦っていました。

今、あからさまにプロレスを「八百長」と呼ぶ人はほとんどいないわけですが、最近では「プロレス芸」という言葉がプロレスを揶揄しているとして、多くのプロレスファンはもとよりプロレスに仕事として携わっている人も怒りをあらわにしていました。

言葉が変わっただけでプロレスを蔑む人は一定数いるのです。

で、プロレスには厳格なルールがあるわけじゃないので(ふんわりとしたルールはありますけどね)その時点で「八百長」という言葉は不適切なんです。

プロレスの面白さはルール制のなさにあるといってもよい。たとえば「反則」の全くないプロレスは、決して観客を満足させてはくれないのだ。

全くその通りだと思いました。

そして、その「反則」の全くないプロレスがUWFだったんです。

ボクがイマイチUWFに乗れなかった理由がこれなんだな~と今更ながら気づきました。

二度と「真剣勝負」という言葉を軽々しく口に出してもらいたくない。「真剣勝負」は論ずるものではなく「やる」ものだというのなら、遠慮は無用。この堀部に申し込まれたし。喜んで受けることを断言しておく。

これはUWFの方々、多分前田日明さんに向けて言っておられるんでしょうが、前田さんは挑んだのかな?

お怒りになる気持ちもわからないでもないですが、「真剣勝負」というのは「キャッチコピー」なんだからいちいちそんなに目くじら立てなくてもね〜と、今は思います。

「最も現実的なことが、最も革新的なことである」という諺がありますが~

ターザン山本さんの発言です。

そんなことわざがあったとは知りませんでした。

深いような深くないような、わかったようなわからんような諺ですね。

実を言うと新生UWFを終始リードしてきたのは、フロントだった。

そんなこと言われたらレスラーたちはガッカリしたでしょうね。

自分たちは進化したプロレスをやっていたと思ったんでしょうから。

進化していたのはフロントの方々というのが現実だと言われてしまって。

新生UWFはボクにとって最悪の時代です。(中略)プロレスを心底好きなものにとっては、気分はよくなかった思いますよ。

あの当時のボクもまさにそうでした。

UWFがプロレスとして認められていく感じもまたイヤでした。

こんなのプロレスラーじゃないって思いが強かったからです。

やっぱりプロレスが好き

当時はこんな本が発売されてることも知りませんでした。

たとえ知っていたとしても、 堀辺正史さんのことを胡散臭いと思っていたし、週刊プロレスは毎週欠かさず買っていたけども、ターザン山本さんのことは大して好きでもなかったので読まなかったと思います。

でも当時に読んでいたら、ずいぶん気分が楽になっていたかもしれません。

流行っていたUWFを好きになれないのはマズいんじゃないかと思い、レンタルビデオ屋さんでほとんど全てのUWFのビデオを借りてきました。

※昔のレンタルビデオ屋さんにはこの手のUWFのビデオがズラ〜っとならんでいたものです。

片っ端から観て、少しくらい詳しくなっておこうとしました。

そして、たくさん見ればきっと好きになれんじゃないかと思っていました。

でも、結局少しも面白いとは思えませんでした。

面白くないと感じたものを素直に面白くないと言えない歯がゆさが常にありました。 

実はここに出てくるUWFというのは第2次UWFを指しているのですが、その第2次UWFには全くハマらなかったのですが、そのあと分裂したUWFインターナショナルとRingsにはハマってました。

Uインターは完全にプロレスでした。

Ringsのほうはどこまでプロレスだったのか知りませんけども、出てくる人出てくる人、みんなキャラ立ちスゴくて、見た目は完全に昔のプロレスでしたね。

どっちかというプロレスのリングでやる異種格闘技戦という感じで実に面白かったです。

当時プロレスファンだった人は懐かしい気持ちになれる楽しい本です。

それではまた。

ありがとう!

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