好き勝手なことを書いておりますが、悪意はありませんのでご了承下さい。

【読書感想文】『性欲の文化史1』井上章一

元気ですか〜?!

どうも、ろけねおです。

今回読みました本はこちらでございます。

性欲の文化史1

性欲について、文化と歴史から語る本なのだろうと思い、手に取りました。

いくつになっても姓に興味がありまくりなので、この本は避けることができません。

この本の目次はこんな感じです。

まえがき 文化のなかに性を読む
1 遊廓の形成と近代日本―「囲い込み」と取締り
2 性教育はなぜ男子学生に禁欲を説いたか―一九一〇‐四〇年代の花柳病言説
3 出口王仁三郎の恋愛観・男女観―『霊界物語』を中心として
4 日本女性は不淫不妬?―中華文人の日本風俗観察小史5 女装男娼のテクニックとセクシュアリティ
6 「胎内十月」の見世物を追って
7 「人体模倣」における生と死と性
8 兄妹性交の回避と禁止

今回は全てを読んだわけではなく、興味が出たところしか読んでおりませんのでご了承下さい。

読んだのは、まえがきと第2章と第4章と第5章だけです。

まえがきから

一文をピックアップしながら感想を書いて参ります。

三味線と唄のひびきに、色気を感じ、やや陶然とすることもできた。

決して美人ではないおばちゃんの唄と三味線がエロかったという件なんですが・・・。

ボクにはさっぱり理解出来ませんでした。

この著者さんはこの時40代中頃だったそうで、ボクは今年52歳になったのですが、こういう間接的?なエロについてわからなくもないが自分自身には起こらない現象という感覚です。

ボクはまだまだ直接的なエロのほうがぐっと来てしまいます。

※ただし、これまでグッと来ていた部分が狭くなり、全然違うところにグッとくるようになってきてます。

修行が足らないということでしょうか。

だけども、この境地に達したら日常のそこかしこにエロを感じてしまい、常に悶々としそうで心配です。

とはいえ、こういうある程度の年齢を迎えてから獲得する新たな能力?の話を知ると、歳をとるのは悪くないかも知れないと思わせます。

I・T技術の発達だってポルノ画像の存在をぬきには語れないだろう。

男にとってはエロが原動力になるものです。

なので、これから発達が待たれる分野は、エロを楽しめるものと繋げることができれば、否が応でも発達するのではないでしょうか。

以前読んだ『87clockers』という作品でも、オーバークロックの世界が発展したのはカクカクせずにエロ動画が観たいという男たちの欲望によるところだとありました。

まさにこのことが証明されているということです。

第2章から

性欲が薄弱な男性は、「男らしくない」と見なされて男としての資質を疑われ、性的卓越性を身につけるよう奨励される。

近頃の若い男性の中には女性と添い寝するだけで満足してしまう人もいるそうですが、そういう人はみな、かつてなら「男らしくない」とみなされていたのです。

今の若者は別に「男らしさ」など欲してないのでしょうけどね。

ボクは男と女で体の構造が違う限りは「男らしさ」や「女らしさ」を求めてもいいとは思いますが、それらも時代によって意味が変わっていくことをしっかり認識しないと、世代間でちぐはぐになりかねませんから、気をつけたいです。

ボクはボクの「男らしさ」を自分には求めますが、他人には求めません。

性的卓越性を禁じることは、彼らのなかの男としてのアイデンティティを損なうことになりかねない。

女性をたくさん知ろうとすることをダメだって言われると、もう一体何のために男に生まれ来たんだろう?となってしまうということでしょうか?

確かに100人斬りやら1000人斬りとかって、単純に憧れます。

それはコミュニケーション能力が高いということで、その能力は人生を豊かにするんじゃないかと思えるからです。

しかし、性的に女性を求めないことがアイデンティディを損なうなんてことはありません。

それはそれ。

人は人です。

昔はずいぶんめんどくさかったんだなとしか思いません。

男女学生が一定距離近づくと、直接に「危険区内」に入らなくても、あたかも遠火にあぶられるかのようにして、「一種の魔力」を受け、体力と精神力を消耗するという。そして、「勉学の精神」を失う。

これは1921年に出た本に書かれてあるそうですが、随分と大袈裟ですね。

だがしかし、 決して間違ったことは書いているとは思えません。

男はちょうど学生の時に誰しもエロいことばっかり考えている時期を迎えます。

女体のことで頭がいっぱいで勉強なんかしてられません。

それこそが青春であり、男として正常なことで、それを抑えてしまったことを後に後悔することになりそうな気もします。

だけど、やっぱり抑えてキチンと勉強したほうが後悔しない気もするし、難しいところです。

健全に発散し、健全に勉強するというバランスが大事なのでしょう。

若い男性が三十歳前後まで独身生活を続けるといふことが抑もの間違ひであり、その間にさまざまな誘惑が待受けてをり、飲酒の癖に陥つたり、不純な婦人関係を生じたり、性病に侵されたり、神経衰弱に罹つたり、あらゆる危険に曝されることになるのである。

これは1942年に出た本に書かれてあるらしいのですが、 実に漢字が難しく読むのが苦しかったです。

ところでボク自身36歳まで独身だったのですが、幸い飲酒の癖も性病になることもなく、神経衰弱にもなってません。

1942年だったら頭おかしいというレッテルを貼られていたのかもしれませんね。

そうは思えわれない時代に生まれて良かったです。

勉強によって知識を得ることと、生殖することは、近代社会が個人にかした二大要請である。

どっちもちゃんとしてない青春時代でした。

すみません。

第4章から

倭の婦人はきわめて体臭が強いので、香を塗っている。(中略)感極まると猿のように大声で叫ぶ

女はクセ~し、男はイク時に叫ぶと。

えらい書かれようですよ、ご先祖様。

このときの体臭の強さは風呂に入ってなかったんですかね?

だったら男も同じはずですから、なんでこんな書かれ方をされたんでしょう?

日本人は体臭がしないほうだと思ってましたが、大昔は違っていたんですかね。

そして男は未だに叫びますか?

ボクは残念ながら叫んだことはありませんが、叫んだほうが良いということなら、叫んでみようかとは思いました。

日本人の風習のなかに、女が野外で立ったまま小用を済ませる光景は(中略)特にめずらしくなかった。

え~?昔の女の人は立ってしてたの?ショッキングです。

しかも、それが普通だったと。

今、目の当たりにしたらビックリするでしょうね。

ちなみに礼節が西洋化して、女の人は座ったんだそうです。

ありがとう西洋化。

第5章から

「男娼」とは(中略)男性のセックスワーカーのことである。そのサービスはしばしば男性が女装した形態で行われる。

てっきり男が好きな人がお求めになる方たちのことかと思えば、 女性のふりをして普通の男にサービスしていたってことで、ビックリしました。

サービスの途中で知ったら、凹むだろうな。

いや、金返せになるでしょう。

だって、カニだと思って食べたらカニカマだったわけでしょ?

お値段にもよるか。

「コールガール」に対して、派遣タイプの男性セックスワーカーである「コールボーイ」と呼ばれる形態がある

この仕事の存在についても全く知りませんでした。

お客さんは女性なんですかね?

男にとって、どんな人が相手であっても、ちゃんとサービスしなければならないって、 猛烈に難しい仕事ですよ。

確実にナニが戦闘態勢に入らなきゃいけないけども、いつもいつも主人の言うことを聞くわけではないですしね。

コントロールできるようになるのかな?

ところで、この本の中にモノの値段の推移が表になっているのがあります。

特に気になったのが天丼と鰻重の値段の推移でして、1930年頃では天丼が0.4円で鰻重が0.6円なのですが、1964年になると天丼が200円で鰻重が400円と鰻重が天丼の倍の値段になります。

そして、1997年には天丼が1200円で鰻重が2500円になったとあります。

どんどん鰻がとれなくなってきたということでしょうか。

今後も今気軽食べられているものが高級品になる日が来るかも知れませんね。

「男と承知で遊んでくれるのは、遊ぼうと口をかけてくれた方のうちで3割位ネ」

3割くらいって少ないのか多いのかよくわかりませんが、男の人が好きな男の人が全体の3割くらい入るってコトなのかな?

これは昔の話なので、今はもっと増えてるかもしれませんね。

大柄で必ずしも女性擬態に向いていない私が、昼のように明るい現代東京のネオンの下でこの確率である。

これを書いてる人の名前が『三橋順子』となっていたので、 普通に女の人が書いてるもんだばかり思って読んで来て、ここで初めて男の人だと知りビックリしました。

性別って何だろう?と考えさせられました。

ちなみにどう云う比率かと言いますと、女装者だと分かってて声をかけて来た人3割、女性だと思って声をかけて来た人3割、半信半疑が残りの4割と云うコトでした。

半信半疑ということは結構女装した人が多かったということなんでしょうね。

とりわけ男性器を可視化してしまわなければ、男と「女」という疑似ヘテロセクシュアルな共同幻想は充分に成立するし、さらには女装者の男性器が可視化されても、ペニスを「大きなクリトリス」に見立てることによって共同幻想は維持され~

維持される?維持されないでしょ?

成立しないですよ、そんなもの。

少なくともボクは絶対ダメです。

どっちでもいい人じゃないとしんどいと思うのですが、そうでもないのか?

そもそもおっぱいはどうした?って話にボクはなるんですが、昔はおっぱいのことは今ほど重視されていなかったそうですね。

男性の誰もが、あってもなくても問題ないという感じだったんだと思います。

そんな時代に生まれなくて、本当に良かったです。

私の商売は手だけ『レンコン(手筒)』だけです。

男同士と聞きますと、お尻を使用するもんだと思ってましたが、お尻というのはそんな丈夫じゃないらしく、商売に使うには向いてないらしいです。

そこで『レンコン』ということですね。

しかし、男は最後まで手であることに全く気付かないらしいんですが、敏感なのか鈍感なのかよくわからないですね。

それにしても、衝撃的な話の連発。

普通だと思っていた今も昔からすれば変だし、ずっと先の未来の人からすると、今普通なことも変に思われたりするのかな、と感じました。

いかなることも時代よって変化していくということでしょうね。

変化を楽しむことができる人だけ生き残るです。

それではまた。

ありがとう!

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